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米軍基地の環境汚染を報告するシンポ開催

米軍基地の環境汚染を報告するシンポ開催 2008/04/15

米軍基地の環境への影響を報告する国際シンポジウムが沖縄県宜野湾市で開かれ、韓国を含め深刻な基地被害と闘う各地からの現場報告が行われた。中で、今年1月の米サンフランシスコ連邦地裁のジュゴン判決は、「環境保護の観点から基地建設をストップさせる展望を切り開いた」として高く評価された。



目 次
 (P.1) ジュゴン判決が切り開いた基地ストップの展望
 (P.2) 環境汚染の総排出源となっている米軍基地

 米軍基地がもたらす環境への影響を報告する「2008年沖縄・日本・韓国共同米軍基地環境調査研究国際シンポジウム」が、12日、宜野湾市の沖縄国際大学で行われた(同シンポジウム実行委員会主催)。韓国を含め深刻な基地被害と闘う各地からの現場報告を聴きに、会場には約120人が集まった。各報告の要約を以下にお伝えする。

◆ジュゴン判決が切り開いた基地ストップの展望

 「沖縄の基地問題概説」沖縄大学学長・桜井国俊さん
米軍基地は治外法権(extraterritorial)であるため問題が生じる。住民にとっては情報がないので、基地内で何が起きているか分からず、判断ができない。日本の環境規則が適用されない、つまり日本の法律によって守られない。よって環境問題の責任の所在が曖昧で、いざ問題が生じた時に長時間解決しない。当然日常生活や経済活動に大きな悪影響がある。

 例えばキャンプ桑江北側返還地はレクリエーション施設だったが、不発弾などが発見され浄化が進まなかった。もちろん処理には日本側の税金が使われている。2004年の沖国大ヘリ墜落事故ではストロンチウム90の搭載があるはずだが、7日間にわたって現場が封鎖され、汚染土壌は米軍が持っていってしまったため真相は不明だ。

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会場となった沖縄国際大学は2004年に米軍ヘリ墜落事故があった。
現場跡地には壁の一部が設置されている。


 では市民はどうすればよいか?まずはより信頼性の高い情報を得ること。そして建設的委員会を設置すること。米国では、地元住民、NGO,軍の代理としての契約企業が基地跡地の環境浄化について話し合う委員会がある。これに対して日米共同委員会は非公開で議論されている。

 「人権・環境問題と普天間基地」宜野湾市長・伊波洋一さん
普天間飛行場周辺には9万人の市民が居住し、121箇所以上の公共施設がある。そもそも日米地位協定第三条3項は、「合衆国軍隊が使用している施設及び区域における作業は、公共の安全に妥当な考慮を払っておこなわれなければならない。」とされているが、現状がそうなっていないことは歴然としている。

 米国内では軍事施設にも国内環境法が適用され、航空基地については海軍及び海兵隊基地に適用される「航空施設整合利用ゾーンプログラム」によって地域の安全が保たれている。しかし日本政府はこれを、米国内の基準に過ぎないとして普天間基地への適用を否定し続けている。

 「ジュゴン判決の意味」弁護士・加藤裕さん
サンフランシスコ連邦地裁ジュゴン判決は原告(沖縄・日本・アメリカの個人及び環境保護団体、ジュゴンなど)が被告(国防総省と国防長官)に対し請求したもの。米国国家歴史保存法(NHPA)は外国の文化遺産、この場合はジュゴンへの保護への配慮も命じているが、辺野古への米軍新基地建設において米国政府は配慮を行っていないので、その事実の確認を求めるというのがその内容で、2003年9月に提訴された。

 今年1月に下された判決の結論は、第1に米国政府の行為はNHPAに違反していること、第2に米国政府による「配慮」がなされるまで訴訟を継続させること、第3に米国政府に対して「配慮」のために必要な情報開示を90日以内に求めることとなった。「配慮」(take into account)とは、遺産の特定、情報を明らかにすること、悪影響の判断、代替案等の評価、他者との協働と解釈される。90日以内とは4月下旬が期限だ。

 この判決の意義は次の2点にある。環境保護という観点から基地建設をストップさせる展望を切りひらいたこと。日本とアメリカの環境保護団体・法律家の連携で、グローバルな環境法適用の道を切りひらいたこと。

 「辺野古新基地建設と違法な環境アセス」沖縄環境ネットワーク世話人・真喜志好一さん
 1995年に起きた少女暴行事件の後、日米両政府は95年11月「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)を発足させ、96年4月、県内への移設条件付基地返還を謳った中間報告を出した。わずか5ヶ月足らずで普天間返還という重要課題が決められたことに疑問を持った私たち市民グループが調査した結果、SACO合意とは基地返還と見せかけ、実は米軍基地を「統合・強化・近代化」する計画だと結論付けた。

 SACO合意文書のばらばらな返還基地リストを米軍側に立って整理すると3つのグループに分類できる。第1は基地の近代化を図った施設群。第2は米軍の長期計画を隠し「沖縄県民の要求だから」と説明されている那覇軍港と普天間飛行場の移設条件付返還。第3は新鋭機オスプレイの訓練場。

 2007年8月に公告縦覧された辺野古の「方法書」は事業内容が不明で、沖縄県環境影響評価審査会からも厳しい意見が出た。それを受け沖縄防衛局は2008年2月に膨大な「追加・修正資料」を沖縄県に提出したが、これはアセス法28条「事業内容の修正」に相当し、方法書からやり直すべきだ。

 高江のヘリパッド建設においても、アセス方法書を出した後に、G地区ヘリパッドから宇嘉川河口に向けての歩行ルートを示し、評価書縦覧後に今度はN1地区H地区の作業用道路を追加した。これらも同様に方法書からやり直すべきだ。

 「ベトナム戦争における枯葉作戦」奥間川流域保護基金代表・伊波義安さん
2007年7月の新聞報道で、米軍がベトナム戦争で使用していていたダイオキシンを含む枯葉剤を、1961、62年米軍北部訓練場などで散布、作業に携わった元米兵が前立腺ガンの後遺症に認定されていたことが分かった。

 沖縄における枯葉剤散布の問題点は、県民の「いのちの水がめ」「生物の宝庫」」に散布されていること、北部訓練場で米軍が何をしているのか、県民には全く知らされていないこと、実験散布や除草剤として沖縄で使われた疑いがあることなどが挙げられる。国、県、県議会は枯葉剤の散布場所、量、時期、環境への影響等を徹底的に調査し、県民に明らかにすべきだ。

 「キャンプ・コートニーにおける鉛汚染」沖縄環境ネットワーク・内海正三さん
2001年2月キャンプ・コートニー水域のヒジキ漁がクレー射撃による鉛汚染によって規制されていることが報道された。沖縄環境ネットワークの独自調査では、他の地域で見られる小型の貝の種類が欠けていることが判明した。しかし多くの化学物質が流入しているため、クレー射撃による鉛汚染とは特定できない。

 米軍基地の使用物質の履歴を沖縄県と地域住民に公表することが、返還後のクリーンアップや跡利用には不可欠である。しかしながら安保条約に基づく日米地位協定では提供地域の管理が米軍に委ねられているため、米軍にその義務はない。日米地位協定の改定がなされなければ問題解決にはならない。

 神奈川の基地群の現況 相模原補給廠監視団 沢田政司さん
神奈川県を縦断する国道16号線沿線には在日米軍の司令部機能が集中している。相模原補給廠は巨大なゴミ置き場であり、有毒・有害廃棄物の受け入れ、処理部門もある。中でもPCB廃棄物は深刻な国際問題だ。

◆環境汚染の総排出源となっている米軍基地

 「厚木基地をめぐる環境問題」相模原市議・金子豊貴男さん
厚木基地は大和市、綾瀬市、海老名市にまたがる米海軍航空基地であり海上自衛隊航空基地もある。飛行場の滑走路を空母の飛行甲板に見立て、戦闘機が連続して離発着の訓練を行っている。連日連夜の騒音被害はすさまじい。

相鉄線のトンネルと東名高速道路大和トンネル(渋滞のアナウンスで知られている)は厚木基地からの墜落事故対策で設置された。部品落下などは日常茶飯事。最近ではヘリコプターの不時着事故が相次いでいる。

 「横須賀基地の深刻な汚染」横須賀市議・滝川きみえさん
米海軍横須賀基地はキティホーク(空母)の母港であり、米国が海外に母港を置くのは唯一日本のみである。1986年横須賀を母港としていた空母ミッドウェイの大改修によって生じた廃棄物を業者が放置しアスベストが問題となった。

 さらに90年代に入ると、海岸埋立のために掘り起こした土がPCBや重金属で汚染されている実態が判明した。原因は12号バース(埠頭)背後のオイルタンクや、バースに埋設されたガソリン貯蔵庫の老朽化にあった。

 1997年に入ると、この12号バースを延長し、原子力空母配備のための関連施設を建設する計画が動き出した。12号バースの汚染状況は驚くべき深刻さであるにも拘わらず、汚染の封じ込め工事は着工され、現在延長工事は終了している。

 「群山米軍基地の油汚染事例」ユン・チョルスわが土地米軍基地取戻し群山市民の会
 群山米空軍基地は面積約13万坪で米軍約2800名が駐屯している。F16など60の戦闘機と、約40km離れたチク島爆撃場を備えている。

 60年以上の駐屯の結果、燃料施設の老朽化による油汚染が深刻である。2003年3月燃料貯蔵タンクのフェンス前の田に油が浮いて悪臭が発生したが、汚染源が基地内という理由で米軍側は汚染源確認を拒否した。

 市民の会の努力により2005年韓米共同実務委員会が調査を実施、汚染が確認された。この間発癌物質で汚染された飲料水は近隣住民に飲料水として使用された。

 「平澤(ピョンテク)基地と環境被害」平澤平和センター・カン・サンウォンさん
 ピョンテクには米軍再編によって2013年までに在韓米軍司令部と米2師団など大部分の米軍基地が移転し、市面積の5.9%に達する基地建設が予定されている。また、現在約9000名の米兵の駐屯が2万2000名に増員される。

 50年間に渡り戦闘機とヘリの騒音・振動に悩まされてきたが、再編によってさらに1.7倍の被害が予想される。2002年に市民団体と周辺住民による騒音訴訟が起こされ、2008年6月には控訴結果が出る予定だ。被害が認められるのは当然だが、法律が根本的な問題解決になるとは思わない。やはり米軍撤去に向けての直接行動しかない。

 「韓国の返還米軍基地環境汚染」グリーンコリア・ソ・ジョチルさん
米軍再編により韓米両国は20011年までに60以上の米軍基地を返還することに合意した(それらの多くはピョンテクに移設される)。それらの返還地で土壌汚染、地下水汚染、油汚染などの深刻な環境被害が発見された。2007年現場を訪れた国会議員は鼻をつく油のにおいと地下水汚染に驚き、「ここは油田なのか」といわれたほどだ。

 SOFA(韓米地位協定)は不平等な韓米関係の象徴。これによって総額7200億ウォンの汚染浄化費用の負担を国民に押し付けようとしている。新しいイ・ミョンバク政府の方向性からして、2週間後の韓米会談では、米が望む通りに協定が結ばれることが予想される。

 2007年の世論調査の結果では国民の80%が「浄化費用は米軍が負担を」と出ている。国民は環境汚染には関心が薄いが、浄化費用の額には驚いている。今後この問題は韓国においてパンドラの箱になるだろう。

 この他に辺野古、高江からそれぞれ阻止行動の現場報告があり、また2月の少女暴行事件に関して「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」からも県民大会の報告などがあった。

 最後に韓国団長のムン・ジョンヒョン神父が「沖縄の基地を見て韓国と全く同じだという印象を持ち、怒りが湧いてきた。それでも辺野古や高江からの現場の声を聞いて元気が出てきた。群山には各国からの軍隊が共同訓練をしている。我々もチームプレイをしよう」と連帯を呼びかけた。

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感情を露に連帯を呼びかけるムン・ジョンヒョン神父。


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沖縄米軍敷地内でも恒例の浜下り(潮干狩り)

沖縄米軍敷地内でも恒例の浜下り(潮干狩り) 2008/04/11

沖縄で毎年旧暦3月3日の春の大潮に行われる浜下り。この日は米海兵隊の訓練場である金武町のブルー・ビーチも住民に開放される。4月8日に行われたこの行事に参加した。



沖縄に浜下り(はまうり)の季節がやってきた。浜下りとはもともと、旧暦3月3日の春の大潮に女性が浜辺に行き、潮に手足を浸して不浄を清め、健康を祈願する行事だが、現在では潮干狩りを楽しむレジャーとしても親しまれている。

金武町(きんちょう)にあるブルー・ビーチは米海兵隊の訓練場で、沖縄島中部東海岸の金武岬に位置している。この海岸は海陸間移動訓練のため、そして同町にあるキャンプ・ハンセンからの水陸出動の待機場として使用され、また水陸両用車を使用した訓練も実施されている(金武町公式サイトより)。また同訓練場は、平成8年12月のSACO最終報告の中で、同町にあるギンバル訓練場のヘリコプター着陸帯の移設先となっている。

 このように現在は、岬全体が米軍施設に接収されている状態だが、浜下りの3日間は住民に開放されている。旧暦3月3日にあたる8日は、曇り空に時おり太陽がのぞく潮干狩りに適した天気に恵まれ、大勢の住民が引き潮時を見計らってイノー(珊瑚礁に囲まれた浅い海)に繰り出した。

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潮干狩りを楽しむ人たち(4月8日)

 バケツいっぱいに貝や海草を採る初老の男性は慣れた手つきが得意げだ。全般的にやはり年配の方が採り方に年季が入っている様子。若い家族連れは、浜辺で持参したお弁当をおいしそうにほおばる。

 一応バケツとシャベル、長靴を用意してきた私も、見よう見まねでチャレンジしてみる。珊瑚の岩陰をシャベルで掘り返してみるが、獲物を発見できない。場所を移動して試してみるがやはりダメだった。どうやらコツがあるらしい。

 イノーから採れる海の幸は沖縄のひとびとの財産だ。それが米軍に接収され、入ることを禁止されている状態は公正ではないと改めて感じた。同時にこれまで多くの美しい海を埋め立ててきた沖縄のひとびとは、ここがもし返還された時に、この豊かな自然を守ることができるだろうか?と複雑な思いに捉われた。

◇ ◇ ◇

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聖域と観光は両立可能か? 斎場御嶽(セーファウタキ)有料化で議論

聖域と観光は両立可能か? 斎場御嶽(セーファウタキ)有料化で議論 2008/04/02

有料化されたとはいえ斎場御嶽(セーファウタキ)に入ると明らかに別世界に入ったのを覚える。聖域を廻り終えると、研修中の若い女性のボランティアガイドに出会った。地域文化の継承に手を挙げた彼女たちは、みな凛としていた。



目次
1ページ
・有料化後の聖域を訪れる
2ページ
「精神文化としての斎場御嶽をどう守る」フォーラムでの議論

 沖縄県南城市にある斎場御嶽(セーファウタキ)は、琉球王国最高の聖域の一つとして知られている。聖域というからには、誰でも自由気ままに入ってよいというわけにはいかないはず。しかし2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたことも手伝い、多くの観光情報メディアで取り上げられたことによって、沖縄有数の観光地としても認識されている。

07年7月、南城市は駐車場内に歴史体験施設を整備し、「入館料」として大人1人につき200円を徴収することを決めた。来場者の増加に伴い維持管理費がかさんだことなどがその理由という。これで実質的に斎場御嶽を訪れる人は全員料金を支払うことになった。有料化後も入場者は増え続けており、これまでに約14万人が訪れているという。

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「緑の館・セーファ」で入館料を払う観光客

 「入館料」徴収については、当初から意見が分かれていた。例えば、「祈りの場所でお金をとるのはおかしい」という否定的な意見がある。もともとは県内外から祈るために、あるいは沖縄で霊性の高い神人(カミンチュ)などが御願(ウガン)のために訪れる場所であり、その人たちからもお金をとることになるというのはいかがなものか、ということだ。

 また「入館料」を徴収するかどうかに関わらず、一般の観光客が聖地を訪れることによって生じる問題も発生している。女性の露出度の高い服装、複数で嬌声をあげるなど、およそ聖域にはふさわしくない振る舞いに眉を顰める地元住民もいるという。

■有料化後の聖域を訪れる
 私が最後に斎場御嶽を訪れたのは数年前、「入館料」徴収前の話だ。施設を整備した後の実際を確かめるため、3月30日に久しぶりに現地を訪れてみた。

 まずは駐車場がきれいに整備されているのが目についた。それで前回訪れた時にちょうど工事中だったことを思い出した。その時は静寂な周辺環境に似合わない工事現場の光景に「斎場御嶽にふさわしくないのではないか?」と疑問に思った。後で述べるフォーラムでの古謝南城市長の話によれば、御嶽側から見てなるべく目立たないように低く整地したということで、それなりの工夫が施されている。

 歴史体験施設「緑の館・セーファ」で大人料金200円を払うと「足もとが滑りやすくなっているのでご注意下さい」とアドバイスを受ける。受付には「順路以外にむやみに立ち入らない。聖地にあるものに、むやみに触らない。決して持ち帰らない。動植物を持ち込まない、持ち出さない。」などと書かれた注意書きが掲げられていた。

 館内には斎場御嶽に関連した琉球の歴史、斎場御嶽からの出土遺物などのパネル展示があり、モニターでは関連ビデオの上映もされている。御嶽に入る前に、ここが一般の観光地と違って、神聖な場所であることがある程度分かる仕組みになっているというわけだ。

 いよいよ御嶽に足を踏み入れる。濃密な緑の木々に覆われ石畳が舗装された坂を上る。とたんにひんやりとした空気が肌に感じられる。時々聴こえる蛙の鳴き声以外はしんと静まり返り、明らかに別世界に入ったのだと軽い緊張感を覚える。

御門口(ウジョウグチ)、大庫理(ウフグーイ)と聖地を巡る。前を行く家族連れがウナー(祈りの場所)でお祈りをしている。二つの鍾乳石によってできた三角形とその空間の突き当たり部分が、それぞれ拝所となっている三庫理(サングーイ)では、恐らくボランティアガイドであろう老人の説明を受ける数人の女性たちが、熱心に話に聞き入っていた。

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三庫理(サングーイ)に陽が差し込む

 途中で何度か複数の観光客の大声を耳にした。観光というのは基本的に非日常を楽しむのが目的だ。ふだんより気分が高揚している。自然と声が出る、大きな声を出すのは当然といえば当然だろう。「お金を払って楽しんでいる。何が悪い?」というかもしれない。その理屈が分かっているにも拘らず、私にはその大声が場違いで耳障りに感じた。私にそう思わせるのは、なによりもその場所の静寂さ・厳粛さだったろう。

■「精神文化としての斎場御嶽をどう守る」フォーラムでの議論
 斎場御嶽を訪れたのと同じ日、南城市、南城市教育委員会、沖縄大学地域研究所の共催による「精神文化としての斎場御嶽をどう守るのか -その位置付けと方向性を求めて-」と題するフォーラムが開催された。会場の南城市知念社会福祉センターは約170人の参加で満員となり、この問題への市民の関心の高さが窺われた。

この中で歴史・民俗学の立場から見た斎場御嶽について、赤嶺政信琉球大学法文学部教授が解説した。御嶽とはそもそも何か? 赤嶺教授は御嶽が本土の神社と違う点として、建物がないこと、御神体がないこと、個性を持った神格がないことを挙げた。

 実際、御嶽を訪ねて「何もないではないか?」と拍子抜けする観光客がいる。だがこの「何もない」ところに、芸術家としての感性から積極的な価値を見出したのが故岡本太郎であることは有名な話だ。

 また、古謝景春南城市長は歴史文化遺産の活用と保全の重要性について語り、南城市の取り組みを「沖縄県における新たな観光のあり方」と位置づけた。その具体化が沖縄の精神文化を発信する場としての斎場御嶽であり、さらに一歩進めて市全体を「統合医療」のメッカにして、長期滞在型の観光を目指すという。

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観光振興と文化遺産の保全・活用について語る古謝南城市長

 「自然に対して祈ることが自然治癒力を高めるといわれている」のだそうだ。そのためには大勢の人ではなく、文化的価値の分かる人に来てもらう。「地域がお客さんを選ぶ」ような観光のあり方が求められると、古謝市長は強調した。

 第二部の討論でも活発な議論が展開された。進行役の宮城能彦沖縄大学教授が「精神文化としての斎場御嶽を守るために制限が必要だといっているが、具体的にどうするのか?」と質問したのに対し、比嘉政夫沖縄大学教授は、地域の方々の共通の認識で作っていくことが重要である、と答えた。

 さらに宮城教授は、「制限は観光客だけでなく、神人(カミンチュ)や門中(ムンチュウ)で廻る人たちに対しても当てはめることになる。これは観光客以上に難しいことだが、どうすればよいか?」と問題を指摘した。これに対し、古謝市長は「神人には半額の減免をしているが、受益があるのだから対価を払っていただく」と答えた。

 「価値を分かる人を育てる必要があると思うが?」との宮城教授の質問に南城市教委文化課の大城秀子さんは「まずは平成20年度のガイドの人数を増やすこと。観光客からの様々な質問、ニーズに応えられるために、ガイドの皆さんは博識です」と答えた。

 御嶽を一通り廻り終え、出口まで来ると、三庫理で見かけた年配のガイドが数人の若い女性に取り囲まれていた。彼女たちはみな真剣な表情でメモをとっている。どうやらボランティアガイドの研修のようだ。地域文化の継承に手を挙げた彼女たちの姿勢は、みな凛としていた。

◇ ◇ ◇

関連サイト:
琉球のスピリチュアルを求めて 南城市

映像作家らが「記録映像」もとに沖縄の植民地状況を語る~コロニアル沖縄 研究フォーラム+上映会開催

映像作家らが「記録映像」もとに沖縄の植民地状況を語る~コロニアル沖縄 研究フォーラム+上映会開催 2008/03/28

記録映像からみた植民地思想の系譜を辿ることで、沖縄の植民地的状況を浮き彫りにする「コロニアル沖縄 研究フォーラム+上映会」が23日那覇市の県立博物館・美術館講堂で開催された。会場には映像作家、研究者などの会員ほか参加者が大勢、集まった。



目次
1.記録映像から植民地思想の系譜を辿る~6名のパネリスト
2.「撮る者、撮られる者」つまり本土と沖縄の関係をめぐる議論

 記録映像からみた植民地思想の系譜を辿ることで、沖縄の植民地的状況を顕在化する「コロニアル沖縄 研究フォーラム+上映会」が23日那覇市の県立博物館・美術館講堂で開催された。これは日本映像民俗学の会第30回大会の一プログラムとして企画されたもの。会場には本土からの映像作家、研究者などの会員を中心として、雨にもかかわらず参加者が集まった。

 前半の上映は、間宮則夫監督作『それは島~集団自決の一つの考察~』(1971年)、北村皆雄監督作『アカマタの歌~海南小記序説~』(1973年)、そして比嘉豊光記録による『島クトゥバで語る戦世』(2003年)の3作。

 後半は『海の民 沖縄物語』(昭和17年)、『海の生命線』(昭和8年)という、それぞれ太平洋戦争中に製作されたプロパガンダ映画が上映された。いずれもこのような特集企画でなければ観る機会の少ない貴重な映像である。

 その後6名のパネリストによるディスカッションが行われた。まずはそれぞれ挨拶代わりのコメントを紹介する。

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ディスカッションの様子

比嘉豊光さん(写真家)
 何故沖縄でこの会をやるのかも含めて1時間ほど時間が延ばせるのなら、県民大会に参加しようということになった。(沖縄を)撮るだけではなく撮られる(ということと関わるが)、県民大会に参加するのは当たり前だよなという、沖縄で表現するという行為と、沖縄で撮られるということも常にいっしょではないかと思って活動を続けています。

仲里効さん(表象研究)
 ぼくが沖縄を考えたり表現したりする時に一番根っこにあるのは、近代の始まりで日本という国家が一つのエリアを統合、併合する上で、そこにどのような葛藤が起こるのかということ。その際に植民地という視点は避けられないだろう。比嘉豊光さんは『島クトゥバで語る戦世』という作業を続けている。沖縄の言語が国語(標準語)に統一されていく際に、植民地的な力が働いてきたのは事実だし、それは言語だけに限らない。

崔吉城さん(植民地研究) 
 コロニアルというのは、基本的に植“民”、移住の形をとる。例えば北海道から樺太へと人口の移動がある時に様々な葛藤が起こったというように。その意味で沖縄の場合コロニアルというよりむしろ「占領」に近いのでは。

後多田敦さん(元沖縄タイムス記者)
 元々沖縄タイムスの記者をしていたが県立博物館・美術館の関連会社「沖縄文化の杜」に出向しています。ここ新都心は太平洋戦争中激しい戦闘が繰り広げられ、その後米軍に接収され、その後返還され新しい街が出来、移住者も多い。その場所でこのような議論ができることはとても意義のあること。まさにこの新都心全体が現在の沖縄の「植民地的」状況に突入しているといえる。

間宮則夫さん(映像作家) 
 『それは島~集団自決の一つの考察~』は当時の那覇シネクラブの若者たちとの出会いから生まれました。ヤマトーンチュとウチナーンチュが同じ地平に立って物が考えられるような、支配 / 被支配、差別 / 被差別というような視点ではなく、じっくりとした、ひとりひとりの心に染み入るような形で映画が造れないかというようなことを話し合った結果、そのうちに「集団自決」の問題にぶつかりました。

北村皆雄さん(映像作家)
 1964年私が24歳の時に、久高島のイザイホーの撮影に訪れたのが沖縄との最初の出会い。当時の作品に、これは沖縄であるとも久高島であるとも表示していないのは、当時吉本隆明という詩人が「島は国である 国は島である」といったように、ぼくにとっても久高島は国であり、また島は自分のこころ、内面であるという考え方からきています。(イザイホーの)日常からあの世へ1回行って生まれ変わって戻ってくるという構造は、あらゆる宗教儀礼、民間儀礼が持っているものだと捉えた時に、それは久高島ではなく自分のこころでも良いのではないかと、ちょっと傲慢な思いがありました。

 1972年に今日観ていただいた『アカマタの歌~海南小記序説~』を撮影しましたが、これは(久高島のケースとは)まったく反対に、ぼくは沖縄にとって他者であるという思いがあって、カメラを持った闖入者として西表島の古見というところに入っていきました。

■「撮る者、撮られる者」つまり本土と沖縄の関係をめぐる議論

 ここからの「撮る者、撮られる者」つまり本土と沖縄の関係をめぐる議論が興味深い。

北村皆雄さん
 撮る者、撮られる者という議論があるが、その観点を超えるものがないと議論が発展しないのではないか?4、5年前に羽黒山の修験道の儀礼に参加したが、そのお経の中に『入我我入』という言葉がある。仏が我に入り、我は仏に生きるという意味だが、つまりぼくは他者であっても沖縄の中に入るし、沖縄もまた僕の中に入ってくるというかたちでものづくりをしていきたいなと。

須藤義人さん(進行)
 撮る者=支配・搾取する側、撮られる者=支配・搾取される側という二項対立が基本的なパラダイムとしてあるが、一種の閉塞感があるのも否めない。これを越えるにはどうすればよいか?

仲里効さん
 『アカマタの歌~海南小記序説~』に衝撃を覚えた。よそ者を受けつけない秘祭を、古見という集落が抱えている一筋縄ではいかない重層的な問題を写しこんでいる。ただ、一つだけ違和感を覚えたのはナレーションの問題。ナレーションというのは映像の時間に意味を埋めていく作業。その際に(同作品に)埋め込まれている言葉の響きの質、言葉の身体性といってよいのか分からないが、映像とナレーションの乖離を強く感じた。

 撮る者=支配・搾取する側、撮られる者=支配・搾取される側という二項対立は、植民地的な場所においては避けられないテーマです。北村さんは二項対立を越えるような視点で造っているということだが、造られた映像において撮られる側が感じる身体的な違和は無視できないだろう。二項対立は避けることなく向き合うべきです。

 その意味でヴァルター・ベンヤミン最晩年の『歴史哲学テーゼ』にある「ニ文法の無限シリーズ化」は参考になるテーゼ。ニ文法が存在する現実の基盤、構造を避けることなく無限にシリーズ化していくことによってそれを越えていくという。

比嘉豊光さん
 今からウチナーンチュが沖縄をどう撮るのかということも含めて考えないといけない。撮るという発想だけだと権力的、暴力的な撮り方が出てくるが、撮られるというかたちの撮り方をすれば「それはマズイよね」ということも出てくる。ぼくは撮られる側にもなるし撮る側にもなる、だから沖縄で撮っているのだよ、ということでやっている。

北村皆雄さん
 『アカマタの歌~海南小記序説~』は撮る側というかたちだけではなくて、なぜあれを撮ったかというと、シマ自体を引きずっている那覇なり石垣なりに出た人に対して、18歳で故郷長野から東京へ出てきた僕自身を見る思いがしたから。だからこそ僕は他者であるけれども共感するから映画を造った。

 「風景」というものが近代的な知覚の転倒によって発見されることを説いたのは批評家・柄谷行人である。それは「孤独で内面的な状態と緊密に結びつき、どうでもよいような他人に対して『我もなければ他もない』ような一体性を感じる」ような「内的人間」によって発見される(注1)。

 北村さんのものづくりの手法はまさにこの「風景の発見」ではないか。そしてそれは北村さんが個性的な作家だという意味ではなく、われわれのものの見方の多くがその転倒的なものの見方によっているというべきだ。ただその起源が隠蔽されているため、われわれにはそれが倒錯であると捉えることができない。

 北村さんは久高島での「失敗」から、『アカマタの歌~』では自らの他者性を意識して撮影したといっている。しかし同時にシマから出た人たちに自己=内面を投影している。それをして「僕は他者であるけれども共感するから映画を造った」という。

 その「共感」こそ「風景の発見」である。そしてそれは徹底的にモノローグであり、他者を欠いている。「ナレーションは多くの島人たちの言葉を紡いだ」と北村さんはいうが、ポリフォニック(多声的)には聴こえない。

 その「言葉の響きの質、言葉の身体性」に違和感を感じることができるのが、沖縄という他者である、と逆にいうこともできる。その他者性という前提があるからこそ、「二項対立は避けることなく向き合うべき」ではないのか。しかしそれが視えない、あるいは視ない振りをしている日本人は無前提に「共感」が成り立つようなことをいう。

■比嘉豊光さん撮影 『ナナムイ』が急遽上映される

 この催しは2月に起きた少女暴行事件に対しての「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」と重なった。沖縄のパネリスト数名がこれに参加することになったため、映像の上映とディスカッションの間に予定外の時間が空いてしまう。その「つなぎ」として、比嘉豊光さんが撮影した『ナナムイ』(注2)が急遽上映された。

 宮古島に伝わる男子禁制の祭祀行事、そこで「円陣を組む女たち」はなんとも艶やかな宴を愉しんでいた。「豊穣」「祝祭的」「伝統」などの言辞が陳腐にしか聴こえない、それは晒していて隠す、哄笑的であり同時に厳粛であり、なによりあまりにもエロティックな生=性の発散だ。それを可能にしているのが「撮られる側にもなるし撮る側にもなる」記録者との羨ましすぎる共犯であるのは間違いない。

 この間、客席は県民大会に向かった参加者がいない分、まばらとなった。映像にまったく興味を示さず、大声で喋り続ける本土からの大会参加者(映像作家か研究者か)がいた。また、この前の休憩時間には、県民大会への参加者がいるためスケジュールが変更したことを噂する、これも本土からの参加者であろう人たちのつぶやきが聴こえた。その口ぶりからは「何故そのような理由で自分は待たされなければならないのか?」といっているように聴こえた。

 私はこの時間と空間こそ「コロニアル沖縄」であると感じた。そして迷った末県民大会に向かわず会場に留まって正解だと思った。つまりこのことこそもう一つの「県民大会」であり、伝えるべき「事件」であるのだと。そして「女たち」を視ているようで実は視られているのは、私を含めたヤマトーンチュであることを。県民大会参加者の「不在」という行為が逆照射するこの放置状態こそ、到来する沖縄からの宣言であると。

◇ ◇ ◇

(注1)
柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社(1980年)
(注2)
『ナナムイ』

関連サイト
日本映像民俗学の会

沖縄マンガは越境する 男女も地方も国家も

沖縄マンガは越境する 男女も地方も国家も 2008/03/10

マンガは「性」「国家」「ジェンダー」、あるいは「中央」と「地方」の関係を超えると考える「マンガは越境する」というシンポジウムが沖縄で開かれた。『沖縄コミックチャンプルー』のメンバーを中心に、マンガというメディアの可能性が様々な角度から討論され、「望郷するマンガ」論も飛び出した。



目 次
(P.1)ウェブ版マンガ『沖縄コミックチャンプルー』
(P.2)漫画家の自己規制でほのぼの路線?
(P.3)静止した故郷描く「望郷するマンガ」

 「マンガは越境する」というユニークなシンポジウムが日本マンガ学会九州交流部会主催により3月8日、沖縄キリスト教学院大学で開かれた。越境するのは「国家」「ジェンダー」、あるいは「中央」と「地方」の関係性であり、その可能性を持つマンガというメディアを様々な角度から討論したいとして企画された。

◆ウェブ版マンガ『沖縄コミックチャンプルー』

 『沖縄コミックチャンプルー』は沖縄をテーマにしたコミックマンガのウェブ版として、昨年8月に創刊された。現在約20名の漫画家が参加し、毎週金曜日に新作がアップされる。

 編集長の島袋直子さんは、80年代後半に出版された『コミックおきなわ』の編集長を務めた経験がある。それに比べて「ウェブ版は低予算でできるということと、世界に越境できる」と利点を語った。

 この日の「編集会議」では、島袋編集長を含めた漫画家が集まり、ふだんあまり耳にすることのない現場の声を聞くことができた。島袋さんは『沖縄コミックチャンプルー』を立ち上げたことによる発見として、「歴史や文化としての沖縄の捉え方もあるが、アイテムとしての沖縄もアリではないか、ということが分かってきた」という。「例えば日常生活を描く時に沖縄っぽさが出ていない場合、サーターアンダギーを入れてみると、いかにも沖縄ということを連想させることができる」。

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コミックチャンプルー編集会議。右端の島袋直子編集長は金田一耕助のコスプレで登場。

 大城美千恵さんは「台詞回しに『~さー』などを使ったり、ファンタジー系の作品としてキジムナーを使ったりして表現しています」と、沖縄を表現するために意識していることを挙げた。喜名朝飛さんは「門にシーサーがいたりだとか、後ろの方でエイサーをしている子供がいるなどで表現しています」と語った。

◆漫画家の自己規制でほのぼの路線?

 司会を務めた本浜秀彦・沖縄キリスト教学院大学准教授との質疑が興味深かった。本浜さんによると、『コミックおきなわ』では米軍への怒りや観光客への風刺があったが、少女暴行事件があった1995年を境に、沖縄を巡る表象に「癒しの島」というテーマが増えてきた。その意味で『コミックチャンプルー』のほのぼの路線が気になる。漫画家自身が自己規制しているのではないか?

 この問いかけに大城美千恵さんは「米軍問題などを描いた場合、各方面からの攻撃が怖い。規制をかけている」と正直に答えた。南原明美さんも「たとえ一部にでも不快感を与えた場合を考えると、あまりつっこんだことは描けない」と同意見。

 本浜さんは「それでは越境していないのでは?」と疑義を述べた後、琉球新報に連載中のももココロ作『がじゅまるファミリー』に触れ、「家族がみな仲良くほのぼのとしているが、その中で沖縄の家族の様々な問題を挟むことはあるのか?」と尋ねた。

 ももココロさんは「基本はやさしさを描いているが、その奥に秘められた苦しさ、歯痒さがあり、でもそこで立ち止まってはいけないということで描いている。教科書検定問題などにも触れながら、漫画家が結論付けるのではなく、『ちょっとそこで考えてみませんか?』という提示をしている。空を見上げれば鳥だけでなく軍用機が飛んでいる。沖縄の漫画家はそこから逃げられない」と答えた。

 これを聞いていた『沖縄決戦』など沖縄戦に関する作品を描いた新里堅進さんは、「タブーに負けず、どんどん描いてほしい」と若手漫画家へ熱いエールを送った。

◆静止した故郷描く「望郷するマンガ」

 後半のパネルディスカッションでは、日本マンガ学会九州交流部会代表の大城房美さんが、「国境」を越えるメディアとしての少女マンガについて語った。大城さんによると、かつてその無国籍的内容と外観を批判された少女マンガは、現在では少年中心の海外のコミックス文化に影響を与えているという。

 筑紫女学園大学の一木順さんは「望郷するマンガ」と題し、長谷川法世作『博多っ子純情』(1976-83年)を題材に論じた。博多出身の長谷川が東京で描いたこの作品には、「(作者自身)自分の中で造り上げた博多」が描かれているという。「その時代背景としての1970年代とは、故郷としての地方が重要な時代であり、その媒体としてマンガがあった」と一木さんは指摘する。

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「望郷するマンガ」を論じた 一木順さん

 さらに一木さんは、同作品が連載8年間を通し、静止した博多の風景の同じカットが使われていることに注目し、「リアルタイムで変化する博多より、自分の中で造り上げた静止した博多が長谷川にとって重要だったのでは」と推測した。

 その根拠ともいえるのが、故郷を語る、あるいは描く上での「ズレ」の問題だ。「故郷が意識されるようになったのは、たかだか100年前、近代に入ってからのこと。故郷とは、移動した場所から見返す、眼差されるところであり、自分の中の記憶を再構築することである」と一木さんは結論付ける。

 一木さんの分析は近代の国民国家の成立と関連していて重要な問題だ。沖縄の現代の漫画家がアイテムとして沖縄らしさを使うという議論が一方である。では一木さんの問題提起をその沖縄のマンガ=文化状況に設定して議論したら、いや、すべきではないか、と強く感じた。それは本浜さんが指摘したような現実を覆い隠す文化=政治状況が沖縄にあるからだ。

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