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基地のない沖縄をイメージするWSのためのメモ5

岡崎によればジョンの詞のミソに気づき日本語の詞をつけたのが忌野清志郎ということになる。Imagine there's no heaven を「天国は無い」とし、above up only sky を「ただ空があるだけ」とし、あまりにも当たり前過ぎることが「夢かもしれない」と疑われている。



ポイントはimagineとdreamの意味のずらし方にある。「天国を想像してごらん」ということであれば、このimagineはdreamとほぼ同じ意味になる。しかしここでは天国がないことを想像し、ただ空があるだけと改めていう私を、人は無想家と呼ぶ、つまり「夢かもしれない」とすることの逆説。

われわれが「現実」としてみている世界はどうして「現実」といいきることができるだろうか?「現実」を現実として疑わない人は、そこからの逃避として天国をimagine=dreamしたりするのだろう。だがちょっと待て。ここはひとつ、「ただ空があるだけ」という当たり前の「現実」を疑ってみよう。次に、天国が無いことを想像してみたまえ。そうすれば今まで当たり前なことだと疑うことのなかった、「頭の上にはただ空があるだけ」ではないことが分かるだろう。

そこまで「非現実的」にならなければリアルはつかめない。

(西脇尚人)

基地のない沖縄をイメージするWSのためのメモ4

ジョン・レノンの「イマジン」を平和を訴える彼の代表的なメッセージソングと位置づけることに疑いを持つ人は恐らくいないだろう。それはimagine all the people / living life in peace(すべての人が平和に暮らすことを想像してごらん)という一節をみれば納得できる。



他にもジョンが「想像してごらん」と誘いかけている目的語を挙げてみる。

今日のために生きること
国がないこと
殺人も死もないこと
宗教がないこと
所有しないこと
欲張りも飢えもないこと
全ての人が分かち合うこと

確かに平和を訴えている。それぞれが現実にはそうなっていないからこそ、それらを想像する必要があるというメッセージだろう。とても分かり易い。

だとすると、冒頭のImagine there's no heaven (天国がないことを想像してごらん)とはどういう意味だろう?「天国を想像してごらん」ではなく、天国が「ないこと」を想像しろといっている。それ以降に続く目的語とこの冒頭部分は明らかに矛盾している。

実はこの矛盾こそジョン・レノンの詞のミソであり、毎年彼の命日が近づくと世界中で「イマジン」が流され、人々が新鮮な思いでそれに耳を傾けることを可能にするのだ。

(西脇尚人)

基地のない沖縄をイメージするWSのためのメモ3

「基地のない沖縄をイメージする」の「イメージする」という言葉を使ったとき、念頭にあったのはジョン・レノンの「イマジン」だった。それには具体的な根拠がある。

2009年8月25日に現代美術講座「詩は絵の如く、絵は詩の如く 言葉と絵画~芸術の時間と空間[芸術をわかるとは何か]」という催しが県立博物館・美術館で開催された。講師は造形作家・批評家の岡崎乾二郎。夫人で詩人のぱくきょんみによる詩の朗読を交えながらの刺激的な講演であった。私は興奮しながらとったメモをブログにアップした。長文で恐縮だが、まずはこれに目を通してほしい。

岡崎乾二郎 清志郎を語る!

これを読んだだけでは、恐らく理解できない点が多々あることだろう。それは私の文章のせいであり、そもそも私が岡崎の話をどの程度理解できているかにもかかわる。いうまでもないが文責は私にある。

私は理解できていないからこそ理解したいとこれまで思ってきた。その思いをこの機会に遂げることができるかもしれない。「基地のない沖縄をイメージするワークショップ」を通して。これはとても無謀な話だ。

とにかく、岡崎の話をなぞりつつ自己吟味を始めてみる。そしてそれをもとに最終的にワークショップに辿りつく。やはり無謀だ。

(西脇尚人)

基地のない沖縄をイメージするWSのためのメモ2

ミーティングから

「基地のない沖縄をイメージするワークショップ」を議題に挙げたのは、ようやく12月初旬のOAMのミーティングにおいてであった。議題に挙げたといっても、9月に「基地のない沖縄をイメージするワークショップをやろう」といってからそれまでの間、その言葉以上の具体的中身はなにもなかった。

当然ながら、議論の始まりは活発とはいえなかった。なにしろ発案者自身が議論の材料をなにも用意していないのだから。ミーティング場所として選んだ某ファーストフードチェーン店内で、周りの喧騒とは対照的に我々のテーブル間を重い空気がしばし漂った。

しかしながら、さすがOAMメンバー、手探りしながらも何人かが自分の考えを述べ始め、議論のポイントが徐々にはっきりしていった。その中で私の曖昧模糊とした脳裏をつつく2つの異なる意見があった。

その一つは、基地が無くなった後どのように利用するかを絵に描くというアイデアだった。要するに基地の跡地利用計画を策定するという話だ。それは予想された意見であった。というより、「基地のない沖縄をイメージする」といわれれば、ほとんどの人はそのようなことを思い描くに違いない。

その議論が進むのを横で耳にしながら「そうか!」と手を打った。といっても、その意見に遅まきに賛成したわけではない。それまで自分が曖昧に思っていたのは、そういうことではない、つまり基地の跡地利用計画を描くという類の話ではないということが、そこで明確になったのだ。

私が思い描いていたことは、イメージするという行為自体に積極的な意味づけをすることであった。「基地のない沖縄をイメージする」ことで問題なのは「イメージする」その力があるかないかではないのか、と思い至ったのだ。

私のそのような新しい意見に、メンバーの反応はイマイチ鈍かった。それは無理もないことだと私は発言しながら思った。

「イメージ」という言葉ほど口語でよく使われとても便利な言葉はない。と同時に、つきつめてその意味を問えば曖昧に定義せざるを得ない言葉であることも確かだ。理論的な議論を好む者は、その軽薄さゆえに使うことを避ける傾向にある。

次にもう一つの意見は、ワークショップ参加者のターゲットをどうするかという問題についてであった。基地や政治に関心のない人がいることが問題なのだから、関心のある人たちだけでなく、関心のない人たちを取り込んでいくことに意義がある。でもそれは難しい。どうやって参加してもらうのか?

私自身その問題意識に共感していた。同時にその課題の難しさも避けては通れぬことだと受け留める。しばし議論をしたが、結局その答えはそう容易に出るわけでもなく保留にされた。

議論の後、私は「関心のある人とない人」という市民運動永遠の課題的二元論の出口を探した。運動をしていると必ず陥る袋小路。関心の高い人が集まり運動を始めるが、しばらくするとそれ以上にネットワークが広がらないことに気づく。そもそもの運動の課題は、関心のない人たちが多いことに起因する。関心のない人たちこそ参加するべきなのに・・・

無論出口はそう簡単に見つからない。しかしちょっとしたわき道らしきものに出くわした。それは、このミーティングの議論の前提として、「基地問題に関心のない人」=「基地のない沖縄をイメージできない人」という区分けを、自分も含めて無前提にしていないだろうかという疑問であった。翻ってそれは、二項対立の思考法のなかで「基地問題に関心の高い人」=「基地のない沖縄をイメージできる人」という根拠の薄い見方を導き出してはいないか。

ここで前者の議論に戻れば、イメージする力の問題と、基地問題に関心のあるなしに果たして因果関係があるだろうかという問いが発生する。基地問題に関心のない人たちは基地のない沖縄をイメージする力がない。よってワークショップに参加して欲しい。一方、基地問題に関心が高い人、例えば反対運動をしている人などは基地のない沖縄をイメージする力がある。よってワークショップ参加者のターゲットにはならない。このような議論は成り立つだろうか?

そしてなによりも、かくいう私はどうだろうか?基地のない環境で生まれ育ち「関心もある」私は、基地のない沖縄をイメージする力を持っている?

その問いに答えるには、いったん「基地」から遠くはなれ「イメージする」ことを吟味することをやってみてはどうか。それにはいささか抽象力が必要なのだが。

(西脇尚人)

基地のない沖縄をイメージするWS

「基地のない沖縄をイメージするワークショップをやろう」と、気がついたら私は口走っていた。それは「週一スタジオ配信 第2回 若者にとっての基地問題」の中継中後半のことだった。若者として基地問題について語り合う情報交換の場作りを始めた「TEAM隣あわせ」のメンバー岸本佳子さんと松本奈々さんの話は、若者たちの基地に対する微妙な意識を率直に物語る内容だった。

松本 岸本


「高校生までは、基地はアメリカ文化を体験でき、英語が使え国際交流ができる場所など良いイメージしかなかった」。「フェンスの向こうで何が行われているのか知らなかった。基地と沖縄戦をつなげる発想は学校では教えられなかった」。「親や親戚が基地で働いている友人、米兵とつきあっている友人との間で、基地問題を語ることはタブー」。

なるほど、「生まれたときから基地がある環境で生活してきた」とはよく使う表現だが、彼女たちの言葉にはそのプロセスによって積み重ねられた生活感覚がある。それは、戦争を経験せずとも反戦平和の立場から絶対の真理として基地反対を訴える者にはない、容易に消しがたい堆積といえる。

その堆積を溶かすことができるのは、基地のない沖縄をイメージする力ではないかと直感的に思った。それが無いがゆえに、基地があることの是非を問う前に、基地を失くすという発想をもてない。

「基地のない沖縄をイメージするワークショップをやろう」という私の発話に対し、彼女たちも前向きな返事をしてくれた。私は機会をみて、それを実現しようとそのときは軽い気持ちで思った。

「週一スタジオ配信」第2回タイトル:若者にとっての基地問題ゲスト:岸本さん 松本さん(TEAM隣あわせ/ONE LOVE)

(西脇尚人)
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