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書評『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』上・下巻

書評『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』上・下巻

誰にも書かれたくなかった

佐野眞一著
集英社
判型/総ページ数: 文庫判/496ページ
定価: 780円(税込)
発売年月日: 2011年7月20日

「だれにも書かれたくなかった」というどこかものものしいタイトルと、平良孝七撮影による表紙写真の少女がこちらを見返す目線の強さが、どこか「本が読者を選ぶ」かのような凄みを感じさせる本である。とくに上下分冊で文庫化される前のハードカバーの本書は、その分厚さもあって、書店で何度も眺めながらも「もう少し沖縄の事を知ってからにしようかな・・」と、伸ばしかけた手を戻させるようなアクの強い印象があった。

 そして、そのタイトルから、はじめこれは沖縄出身の著者による、自身の暗部をえぐり出すような、一種の内部告発の書なのだろうと思った。ところが、読んでみると著者の佐野眞一氏は、1997年に初めて「仕事らしい仕事で」沖縄を訪れた本土のライターであるという。すると、「だれにも書かれたくなかった」というのは、かつて沖縄を訪れるライターが誰も掴んでない「特ダネ」を誰よりも先に書きたかった、ということなのだろうか?

 外から沖縄へやってくる人々がこの島に寄せる想いは、しばしば恋にたとえられる。恋すればこそ、自分が「誰にも明かされていない彼女の秘密」を知りたいと思うものだろうか。

 まさにその事をアピールするように、著者は沖縄にやって来ては、沖縄を賛美することで自身の罪を償おうとするかのような他のヤマトの文化人たちを名指しし、「我々を“褒め殺し”にするのももういい加減にしてくれ」という沖縄の人の声を取り上げ、その理解の浅薄さを非難する。その語気から感じられるのは、彼がやり玉にあげた文化人たちの、沖縄への想いを「プラトニックラブ」に喩えるとすれば、「恋は奪うもの」というがごとき鼻息の荒さである。

 ただ、それは本書の欠点ではない。著者は、むしろそういった自身の欲求をさらけ出してぶつかって行くことで、「血の通った」沖縄の物語りを描こうとしているように思える。頻繁に「(笑)」が使われる、対談形式の書き方からも、聴きたい事・話したい事を整理する事なく、インタビューのその場の雰囲気を再現しようとした意図が伝わってくる。

 そして、そのような著者の魂に響き合い、ここに記されたのは、反基地・平和運動の「理想」に捧げられるのではなく、その「空論」からこぼれ落ちる人々の様々な「生きざま」である。沖縄に生きる人、沖縄にやって来た人の誰もがうすうすと知っていながらも、書こうとしなかったもの。それを書く事は、「沖縄」にとってマイナスになるのではないか、あるいは自らの沖縄像を汚すのではないか、という事。それは当然、ひとつの理論にまとめあげられるものではなく、「これが人生だ」としか言いようのないもの・・。

 著者の代表作に,日本中をくまなく歩いて、近年再評価の目覚ましい民俗学者と、そのパトロンであった財界人を描いたノンフィクション『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』があり、そこではひとりの「聖化」されたスターの姿でなく、その業績を作り上げたふたりの人生と周りの時代が丹念に描かれる。その姿勢は、反基地運動のヒーローと、軍用地主、基地造成を請け負って成長した土建業のリーダーなどを並列に描く本書でも貫かれていると言える。彼らが「何を主張して来たか」ではなく「どうやって生きて来たか」を描くこと、それが本書の独自性だろう。

 そしてその視点は、どこか「恋」と「結婚」の違い、という議論を思い起こさせるものである。本書における著者の沖縄に向ける眼差しを、「沖縄へのプロポーズ」と言ってしまいたい欲求に駆られる。相手の美しいイメージだけでなく、様々な現実を受け入れ、一緒に生きて行くすべを探ること、そこにもしかすると、沖縄と日本の関係性を再考させる何かがあるように思える。

 本書に登場する物語りの「主役」たちの中で、とりわけ強い印象を残す者をひとり選ぶとすれば、暴力団幹部を狙撃した日島稔である。その人生そのものが沖縄の戦後史を凝縮したような存在だという彼。文庫版で書き足された章「海燕ジョーの最期」もまた印象的である。

 暴力団の世界から足を洗い、観光漁船の船長として新たな人生を送っていた彼が、乗り組んでいた漁船で座礁・転覆し、そのまま行方不明になってしまう事故。同乗していたベテラン漁師ふたりを残して、彼はライフジャケットを着て海に飛び込んでいったという。やがて救助されたその乗組員は「座礁したときは船から降りないのが鉄則」と語ったのだそうだ。

 本書に登場するのは、普段なかなか「書かれる事の無かった」人々の物語りである。しかし彼らにしても「書かれるべき目立った行為」をした人間という事になる。それはたとえて言うなら「人に先んじて物事に飛び込んで行った」人々であると言えないだろうか。そして、そこで「後に残る人」の方が、実は人間社会を構成する大多数派であるという事、それが本書を通読してさいごに浮かんで来た印象であった。

(海津研 美術・アニメーション作家 2011/10/29)

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