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書評『現代沖縄文学作品選』

書評『現代沖縄文学作品選』

現代沖縄文学作品選

川村湊・選
安達征一郎、大城貞俊、大城立裕、崎山麻夫、崎山多美、長堂英吉、又吉栄喜、目取真俊、山入端信子、山之口獏・著
講談社文芸文庫 1500円+税

行間から立ち昇る、湿度と潮の匂い

那覇空港に到着した飛行機から降り立つ時に感じる、あの暑熱を帯びた、むわっとした湿気と、その後にやってくる、鼻腔の奥をくすぐるかすかな潮の匂い。本書のページを繰りながら最初に思い起こされたのは、まさにその感覚だった。

沖縄に何度も足を運ぶと、マリンブルーの美しい海とか、癒しの島だとか、観光地としての売り文句では回収できないオキナワの表情が、嫌でも見えてくるものだ。

例えばそれは、リゾート計画の頓挫で醜い姿をさらす廃墟、基地建設に体を張って抵抗する人々、今ではうらぶれた歓楽街、などであるだろう。あるいは、観光客外向けのホスピタリティに隠された、ヤマトに対する嫌悪の感情や、他所者への用心深さであるかもしれない。

本書に編まれた、沖縄の現代文学者の手になる十篇の小説は、どれもがまとわりつく暑さと湿度を帯びている。まとわりつく、と述べたが、それは文字通り、振り払おうともがいても執拗に絡みついてくる重苦しさであり、沖縄が背負っているつらさ、かなしみ、行き場のなさの謂いである。

「鱶(ふか)に曳きずられて沖へ」(安達征一郎)、「棒兵隊」(大城立裕)からは、力に翻弄される沖縄人のさけびが聞こえてくるようだ。「軍鶏(タウチー)」(目取真俊)ではカタルシスも用意されているが、しかし出口があるわけではない。

一方、「見えないマチからションカネーが」(崎山多美)、「鬼火」(山入端信子)は、まさに「女語り」による沖縄だ。閉塞の中でもまたたく母性、包摂する力。それは闇の濃さと対をなし、時に残酷に、時に絡み合いながら続く。男性の作者による女性視点の「K共同墓地死亡者名簿」(大城貞俊)、「伊佐浜心中」(長堂英吉)でも、そのことは同様だろう。

四方を海に囲まれた暑熱の島で、草が生い茂り、木々が肉厚の葉を広げるように、人々は生を営む。がしかし沖縄は同時に、今なお「力」に組み敷かれた島でもある。行間からは、空や海の蒼さではなくあの湿り気――まさに「カーニバル闘牛大会」(又吉栄喜)で描かれた、陽炎の中にたたずむ沖縄人たちの息遣い、が立ち昇るのだ。

ヤマトの言葉で書かれたウチナーの語りを、ヤマトの私が読む。そこには不可避的に緊張が生まれる。けれども私は、本書を繰ることのを止めることができない。那覇空港のタラップを踏んだ時に暑熱と湿気が伝えた「オキナワ」の感触の意味を、十篇の語りは、より深く私に教えてくれるのである。

(2011/9/3 斉藤円華 ジャーナリスト)

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