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書評『世界がもし100人の村だったら』

書評『世界がもし100人の村だったら』

世界がもし

池田香代子(再話) C、ダグラス・ラミス(対訳)
マガジンハウス
880円

《世界には63億人の人がいますが/もしそれを100人の村に縮めるとどうなるでしょう。》と問いかけ、『すべての富のうち6人が59%をもっていてみんなアメリカ合衆国の人です/74人が39%を/20人が、たったの2%を分け合っています』というように答えつつ、この世界の不平等・不正義を問い質した本書は、シンプルなクレヨン画の効果的な挿入も手伝いベストセラーとなった。今から10年前、2001年のことである。

再話を担当した池田香代子の解説によれば、本書のもとになっているメールの痕跡をたどると、北アメリカを中心に広まっている「国際友情週間」のメッセージとして2001年に流れたものを、中野裕弓氏が翻訳・転送したものであることが分かった。「国際友情週間」を省いた中野版は、その後転送を重ねるうちに「ある学級通信」という別の顔に変容していった。さらに元をたどれば、原作は環境学者ドネラ・メドウズが1990年に書いた新聞エッセイであるらしいことも判明する。

口承文学の専門家である池田は、このようにインターネットを介して広まる情報のうち、事実とは一線を画したテクスト、現代伝説をインターネット・フォークロア「ネットロア」と名づけた。そしてこのネットロアと9・11以降の世界が切り離せないものだとし、《ある種の世界意識のようなものが覚醒し、もはや天文学的なまでにひらいてしまった貧富の差に危機感を覚え、このネットロアのなかにその目を静かに、しかししっかりと見開いたのではないだろうか。そのまなざしの先にあった不吉な予感がまるで的中したかのように、事件は起こった。》と述べ、その共感がメールの転送を重ねることになったのだろうと推測する。

それにしても世界意識といえるまでグローバルな共感が成り立つとは、人間の想像力とはなんと計り知れぬ力を秘めていることだろう。それにはたんなる「事実」にとどまらない口承(ならぬメールの転送)だからこその伝播力もあったのではないかとする論は説得力をもつ。

当時はメールの転送であったが、今やツイッター、フェイスブックなどソーシャルメディアの時代である。ツイッターは拡散力、フェイスブックは共感力に秀でる特徴をもつ。あらたなネットロアが生まれてもおかしくない。いや、きっと既に生まれているのではないか。「事実」は情報ソースを明確にすべきだが、一方ネットロアはそのトレースにやっきになるよりも、その過程での変容に埋め込まれた人々の思いを想像することが大事なのだろう。

しかしその「グローバルな共感」は、不吉な予感として事後的に求められる。我々は常に一歩遅れて気づく。回帰的に想像する。希望がもしあるとすれば、その共感と想像のあとに、それ以前よりほんの数センチほど理想に向けて前進していることだけなのかもしれない。

3・11を迎えてしまったわれわれは、この10年で数センチでも前進できただろうか。次週19日に配信予定の「オルタナ・クール第20回」でゲストにお招きする池田香代子さんと、「希望」について対話をしてみたい。

(西脇尚人 2011/8/13)

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