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書評『市民の科学をめざして』

書評『市民の科学をめざして』

めざして

高木 仁三郎著
出版 : 朝日新聞社
発行年月 : 1999.1
税込価格: \1,260 (本体 : \1,200)

 高木仁三郎さんは、オルターナティブとしての市民の科学の現実的な問題意識とアプローチとして、次の三つを挙げている。

(1)国家や各種の体制を維持運営するための支配的な枠組みとなっている現代科学技術(および科学的知)は、常に人々の生存を脅かしたり自然を傷つけたり、人や自然の共生的関係を妨げる方向に抑圧的に働きかける傾斜をもつから、これを市民(それらの支配的システムと独立な立場)の側から批判し、対抗的な評価を提起していく必要があること。

(2)自分の専門分野内の価値判断や利害のみしか考えない「たこつぼの専門家」の感覚でなく、実際に生きる生活者の感覚や視線の高さでものを見ることをいつも基盤において、科学技術の問題にアプローチしていくこと。

(3)最終的な政策決定者は市民であるはずだという立場に立って、市民の判断材料となるような情報を提供し続けること。これはいわば科学技術情報の橋渡し役だが、もちろん単なる受け渡し役ではなく、あたかも暗号か呪文のような形で(それも多くの数学や外国語を含んだりして)上から降りてくる国家や産業側の科学技術情報を批判的に解きほぐし、市民にとって意味のあるようなメッセージとして伝え直すような役割である。
(50ページ)

 あいだに立ちながら、その跨る両者を絶えず変成=編成し続けること。高木さんから受け渡された者は、それを手にしているうちに、なんとか形にすることを要請される。科学のことだからといって、国家のおかかえ学者に任せたままではえらいことになる。そう、われわれ一人一人は、高木さんから、いつ破裂するともしれない風船球を渡されて、焦りに焦り、それを手回ししている。オルターナティブとは、その風船球をしかと受け止め、凝視し、にやりと笑う行為をいうのだ。この狭い島国の方々に、何と風船球の多いことか。

 文明が進歩し、専門家が増えた社会の人間は上等とはいえない、と喝破した国民的作家に呼応するように高木さんは行動したのではないか。一世紀を経て、その世紀末の預言者の声に対するアンサー・ソング。循環のすっかり狂った者の耳に、それは果たして届いているだろうか。今からわれわれは市民化学者、高木さんの希望——高木学校の永久生徒となろうではないか。

 本書は著者を知る上で、「市民科学者」に馴染むために、格好の入門書と言える。まずは手軽に手にしてみよう。

(西脇尚人 初出2001/11/9 「オルターナティブとしての市民」改題)

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