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書評『民主党政権下の日米安保』

書評『民主党政権下の日米安保』

民主党政権下

小沢 隆一 丸山 重威【編】
花伝社 共栄書房〔発売〕
(2011/02/20 出版)
263,3p / 19cm / B6判


 『民主党政権下の日米安保』という、この本書のタイトルを見た時、素直に感じた第一印象は「なんとも新鮮さに欠け、心ひかれないタイトルだなあ。」というものでした。それは米軍普天間基地の移設先を“最低でも県外”と公約を掲げて政権交代を実現した、民主党の鳩山首相が1年も経たずにその方針を取り下げ、後任の管首相に至っては就任時から「日米安保体制の堅持」を掲げた、その一連の政治への失望感が余りにも大きいからです。民主党の日米安保への取り組み、それは語る価値のある話題なのだろうか?とつい無力感に襲われてしまいそうになります。

 しかし、その「無力感」によって政治に目が向かなくなることは、むしろ国民に余り口を出されずに政治を進めてしまいたい、と考えている者にとっての利益となるのではないでしょうか。私たちに求められているのは、例えば「抑止力は方便だった」と漏らしてしまった元首相の態度を批判するだけでなく、なぜ理不尽にも民意を無視してウソまで付かなければならなかったのか、その理由を深く追求して本当の問題点を探り、「国の安全保障」という“ちょっととっつきにくい”話題に対して、国政を動かす民意を作って行くことだと思います。本書は、そのために考えるべき論点を、第一部では民主党政権下での日米安保を巡る今日的な情勢、第二部では沖縄をはじめとした全国各地の在日米軍基地と、それをとりまく地域の実情、第三部では日米安保50年の歴史、第四部では安保体制を国際的見地から相対化してみるというように、バランス良く提示した格好の入門書であると思います。

 第一部では今日的な問題として、政権交代が過去のしがらみを断ち、安保体制をより積極的に運用する事に利用される危惧を挙げ、複数の公約を掲げて行われる選挙が特定の政策に対する民意を反映しづらいという、国政の構造的な問題点を浮き彫りにします。それは沖縄県民が基地政策に注目して民主党を選んだとしても、他の多くの日本国民は経済政策に期待した、という論が成り立ってしまうことも考えられるからです。その「多数派」である本土の大手メディアが近隣諸国との緊張感を煽り、安保体制に不用意な動揺を起こすべきではないとして「最低でも県外移設」の公約実行を阻んだ事、そしてその理由とされた中国や朝鮮半島から見た日米安保体制の姿が語られるのですが、ここで大切な事は日米関係の不安定化が韓国の保守層に危惧されている一方で、かつて韓国政府が朝鮮半島の南北融和を目指した「太陽政策」が日本の保守層に「半日・反米政策」と非難されたという事実が示すように、それぞれの国が内部にいくつもの意見を抱えているという視点を持つことだと考えさせられます。それはやはり国政の変化を期待してオバマ政権を選んだアメリカに対しても言えることなのです。

 またかつて日本の軍国主義の被害を被った中国や韓国にとって、日米安保体制は日本から自国を守るものでもあったが、今日そのあり方が問われると共に、同じく日本の軍国化を防ぐものでもある平和憲法のあり方もまた、問われているのではないかという指摘も重要です。それは、第二部で説明される、全国各地にある米軍基地の実情が多くの国民にとってなじみの薄いものであるということに、平和憲法の形骸化、「明文改憲反対が解釈改憲の容認につながる」という事が関わっていると思えるからです。”多くの”国民にとって戦争に繋がる「軍事」とは出来れば日常生活で関わりたくない、考えたくないものであるという事が、それを関わらざるを得ない所に押し付ける構造的な不平等を助長しているのではないでしょうか。

 そしてその「関わらざるを得ない場所」での実体験から発せられる言葉には、見せかけの平和の矛盾した実態がありありと浮かんで来るのです。日本を守る「抑止力」のための部隊が海外に戦闘に出かけて居ない矛盾、その部隊が海外の戦闘で挙げた“加害の実績”が周辺国への威嚇として「抑止力」に繋がる矛盾。周辺住民を基地被害から守るという名目で古い基地がより新しく強固な基地に作り替えられるという矛盾。中でも、米兵による犯罪から警察や国内法は市民をなぜ守れないのか、という問いかけは、外国の軍隊によって国内の安全が保障されるということの本質的な矛盾を考えさせるものであると思います。

 第三部の日米安保の歴史を見れば、太平洋戦争後すぐではなく、朝鮮戦争時にそれが成立させられたということが、すでにその“本来の目的”を表しているとも言えるのではないでしょうか。その後もベトナム戦争や湾岸戦争での国外の米軍の戦闘を、基地の存在を認める事で、そしてまた経済的にも支えていた「実質的な戦争貢献」の事実は、一方では軍隊だけでは戦争ができないことを表しています。ここで指摘される「軍事は外交の一手段にすぎない」という指摘もまた重要です。それを国の政治から切り離し、国民に触れられないようにしたもの、それが日米安保の実態とも言えるのではないでしょうか。

 第4部で紹介される日米安保条約成立直前に起きた「砂川事件」では、在日米軍の存在を憲法に則って否定した裁判所の判決が、「主権国としての我が国の存立の基礎にきわめて重大な関係を持つ」「高度の政治性を有するもの」として退けられたそうなのですが、国の主権者である国民が触れる事の出来ない在日米軍の存在が国の主権に重大・・果たして真の主権はどこにあるのでしょうか?

 高校生へのアンケートで、平和憲法を守るべきものとしながらも、自衛隊や日米安保の存在を容認するような意見に見られる、「戦争は絶対に繰り返してはならない」という経験と「戦争は避け難い」という予測との両立状態。絶対に使ってはならないという核兵器によって守られる「核の傘」の元での安全保障。それを議論の対象外に置こうとするマスメディアを含む圧倒的な世論に覆われているこの国に、果たして国際的な信頼関係に基づく平和が築いて行けるのかどうか。わたしたちもまた国際平和を「方便」として使っているとはいえないだろうか?自国の「戦争責任」と国民の「戦争体験」をしっかりと見つめ、それをどういう形で平和な関係作りに生かして行けるのか、国民一人一人が問われているのだろうと思います。

(海津研 美術・アニメーション作家 2011/5/14)

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