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書評『統ばる島』

書評『統ばる島』

統ばる島

池上 永一/著
初版発行::2011年03月
定価:1,575円 (本体: 1,500円)

 竹富島(タキドウン)
学生時代に訪れた島である。石垣港から小さな船で青の海面をすべり、約10分で着いた。
赤瓦の懐かしい家にバナナの木が寄り添い、白いサンゴの砂の小道に沿って、瓦の家が立ち並んでいた。観光する人はいたが、当時はあふれるほどではなかった。それでもテーマパークに観光地化することを恐れる地元出身がいた。
世持御嶽を見学したはずだが記憶が鮮明ではない。武富島について調べて旅したのではないので知識がないままのかわいい島へ行きたいという思いだけだった。
種子取祭は、新聞で報道され、また八重山芸能のサークルの活動が活発だったので知ってはいた。熱心に見たことはなかった。有名な祭事である。
この祭事での神に奉納される芸能を通して島を紹介している。神に奉げる芸のために選ばれた少女と少年が奉納するに値する芸を会得するために起こったできことを描いている。
少女に課せられた奉納の踊りは「元タラクジ」。その歌詞がモチーフとなる。
読み進めていくと私の頭の中で劇画の絵が展開する。神が芸を完成させるために二人と彼らに関る人を操るのだ。
そして、「この島は舞台であり、舞台こそ人生だ。」と結ぶ。芸能の島であり、人生そのものが芸能となる、ということだろうか。
最近は竹富島に足を運んでいないから細い小道に赤瓦の集落がある当時のままの印象である。アンツクを肩にかけ、麦藁帽子で島を歩いた。海は限りなく透きとおり、神々が住む島にふさわしいかもしれない。

波照間島(パティローマ)
「果ての島は、東シナ海の南端にひとり寂しく浮かぶ島、四方を水平線に囲まれた孤高の島」、そこが波照間島である。星空の島ともいう。
日菜乃という少女の心象風景を描くことで「最果ての孤島」をあらわしている。日菜乃の携帯電話は、ほとんどの知人を着信拒否にしている。社会に背を向ける。社会を(から)隔絶し、海が砂漠のように思えるほど心が乾いている。
ある日、日本最南端の碑の側で会った御願(ウガン)をするオバァから「パイパティローマ」の話を聞く。パイパティローマとは南波照間島と呼ばれる島に伝わる桃源郷伝説の島である。極楽浄土の島である。日菜乃は、不幸仲間の友人の結婚報告のメール受信をきっかけにパイパティローマを夢見る。荒々しい爆弾のような波が岸壁を打ち砕くインクブルーの底の見えない海がないだときその島は見えるという。
寂しいある夜に波の音が消え、日菜乃は身を強ばらせて、大声で闇の中で自分の正気を確かめるように唄を歌う。島の恋歌「祖平花節」。日菜乃は船を出し、パイパティローマへ向かう。名前も忘れた日菜乃は穏やかでやさしい桃源郷で心を慰める三線を聴く。「親神ぬ御蔭に守りやすぬ みぶきん・・・」。浜に打ち上げられた日菜乃を救った青年と恋に落ちる。恋を見つけられたら追われるというパイパティローマ。それを知りながら甘い蜜をむさぼった。そして、去るときに島の風景を焼き付けて、農道の曲がり角に差しかかったとき現実の世界にもどった。島の中に砂漠の現実と豊穣なロマンを併せ持つ島か。

小浜島(クモー)
小浜島は石垣島と西表島に挟まれた八重山諸島の特徴がまとめられた小さな島だという。
唄はない。島の女性たちの噂話に先祖供養の粗相で起こったとされる不幸をユタが占ったという話題がプロローグとなる。都会で話題になるいわゆる女性の空の巣症候群である。子育てを終えた女性が空虚な気持ちに襲われる。ユタは、これを「祖先供養の粗相によるマブイ(魂)落ち」という。
島では子は中学校を卒業すると島を出ていく。高校がないからである。だから子育ての終わりが早くに来る。島の主婦の一人照子も末子の中学校卒業でふと日常に不安を覚える。
照子の拠り所は、台所の火ヌ神(ヒヌカン)である。この神のしるしで照子は子供たちの部屋の片付けをし、この片付けをする中で子供たちとの思い出を振り返り、そして片付けをみていた夫の「死人を祀っているみたい」という一言で大舅の洗骨をしなければならないという思いに辿りつく。洗骨は、沖縄に以前あった弔いの風習である。洗骨をするために家族、親戚があつまり、新しく家族になる人も集う。島からでていったものが繋がりを思い、照子も次世代へのバトンを渡す準備ができたと思う。
ここでは海が隔たりの海ではなく、どこまでも繋がる海であるとする。

新城島(パナリ)
パナリの昔話は、童話「人魚姫」を思い出させる。パナリの昔話は、王子様ではなくてパナリ王目差主から条件を提示されたザン(ジュゴン)狩りの海人(ウミンチュ)が主人公である。唄の好きなザンを誘きだす手段として、いくつもの歌を唄う。歌は、トゥバルマーのようにあるいは正調安里屋ユンタのように耳の奥で響く。月夜にザンに聴かせるために歌っているのだ。二人の女性、目差主の娘クヤマと人魚ザン真魚(まな)の間で揺れる海人ギールー。真魚は、ギ―ルーのために命を差し出す。しかし、真魚の命を獲ったことでパナリは大きな津波に襲われ、村が消える。海神の怒りにふれたと。ここには自然への畏怖がある。心が痛む。ザンとクマヤの心情とザンを捕らえたギールーの苦悩。哀切ある歌声が聴こえてくる。凶作の村落を救うにはザンを差し出さねばならない。小さな島の苦悩をあらわしている。

西表島(イリウムティ)
西表島の滝を目指して川をボートでいった。両岸にはマングローブが生い茂っていた。ボートから降り、滝を見に歩いた。大きな光るトカゲが時々現れた。那覇では見ない大きな蝶もいた。原始林だった。滝を見たら疲れてしまい、さっさっと引き上げたような記憶がある。
西表島は、緑の洪水で人間が小さくなる。みどりの一部になる。人間がヒトという動物の一種であることにはっと気づく。
猟奇的ミステリー?淡い白い光のくねくねの花の精が見える。環境破壊への警鐘とも取れる。あるいは自然を制御しようとする人間への警告とも取れるが。男という雄の願望も見え隠れする。欲望が大きく膨れ上がり、原始の森さえ征服しようとするヒトという男の物語である。花の精は、人格を持たない女という雌か。
「山は原罪を覆い隠し今日も生い茂る。」原罪とはヒトがアダムとイブになり、欲望を貪り食ったときから始まったがそれか?深読みだろうか。ヒトというだけでは満足できず、もっともっとと快楽と欲を増殖させ、滅びの道へと続く。不快(深い)森西表島殺人事件というドラマが作れそうだ。

黒島(フスマ)
黒島は、人間の数より牛の数が多いと聞いた。島の草原のいたるところに牛がいる風景が浮かぶ。
ここもまた神の住む島である。御嶽を守り、豊年祭を司る神ミルクと童神がいきいきと教室の新任教師とのやり取りを通して描かれている。新任教師もまた神が呼び寄せたマレビトであった。島創生の神話の物語でもある。ハート型の島は、海と繋がる大地のようだと表現する。

与那国島(ドゥナン)
与那国島は、台湾に近い。切り立った岸壁を持つ。紺碧の海が白の波を岸壁に突き立てて、与那国島へ這い上がろうとしていた。いつだったか、最西端の碑に立ち、海を見た。与那国馬が、草を食んでいた。与那国ションガネーが台湾の見える丘から聞こえてきたような気がしたが、この島にはサンアイイソバがいたことを忘れていた。そういえば、あの荒々しい海にはイソバの物語がふさわしい。大きなまん丸のおにぎりを店のおばさんが持たしてくれた。島をぐるりと回り、軍艦岩や久部良割り、ティンダバナを見た。女傑の島である。

石垣島(イシャナギゥ)=統ばる島
石垣島は、たばねる島としての統ばる島、繋がっている島々の中心であると著者は書く。
八つの島、一つ一つがすばる(昴)の星のように輝く。石垣島出身の著者の島への愛情がわかる。
各島へ出航する石垣島の港に各島の物語の主人公がやってくる。石垣島が島の中心であり、島々を繋ぐ母のごとき島であることをあらわす。エピローグとしての石垣島である。
神と唄と星と、八重山らしい。八つの島が重なり、繋がり、それで八重山というのかと思った。鍵の言葉は、「繋がり=絆」だろうか。いま、全ての人が求めている。
最初、統ばる島からツバルが浮かび、消えてしまうかもしれない地球の島を思った。海が繋がっているならば、地球の全てが繋がり、神が繋ぐ大地を畏敬の念を持ち、生きていることに感謝しなければと思う。
お楽しみの物語に人間の人生という面白さと自然という名の神々の圧倒的力を見せてくれる。唄が随所で詠われているのでおもしろかった。会話も完全沖縄語?八重山語?にすれば、一味ちがうものになったのではないだろうかと、不遜ながら思うのだ。

(ぺん・りゅう 2011/5/7)


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