twitter @oam0

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

書評『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』

書評『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』 

空白の一年

『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』
青土社  汪 暉 著 石井 剛 訳 羽根 次郎 訳
201101刊/四六判/354頁
定価2940 円(本体2800 円)

どのような反対運動も単に反対のための反対に終わってしまう。異なる運動の流れが合流して大きな潮流とならない。右と左の差異も曖昧だ。野党も与党もその政策内容に大差なく、民主制は危機に陥っている。わたしたちのだれもが認める今日のこのような政治状況を、ワン・フイは「脱政治化の政治」プロセスとして概括する。「脱政治化」はいつ始まったか?

イタリアの社会学者アレッサンドロ・ルッソによれば、「文革」の派閥闘争と暴力衝突の結果,文革初期の公開討論やさまざまな政治組織を基盤とした政治文化が危機に瀕した。汪はルッソ説をうけて、1960年代を中国のみならず、現在の西欧や日本にみられる「脱政治化」現象の起点とする。政党がみずからの政治理念に従い国家の政治実践を指導してきた20世紀の「政党―国家」の時代から、政党が「脱価値化」し、国家運営の一機関に過ぎなくなった「国家―政党」の時代が始まる。

「60年代の終焉と共に出現したのは、デモクラシー理念そのものの新自由主義よりの変化だった。デモクラシーが市場経済の基礎の上に築かれ」、「議会制デモクラシーは政府の行動を制限するメカニズムであるとみなされるようになった。」「議会制デモクラシーは二重のアポリアに直面している。つまり、社会的共通利益を見定めるのが困難になる一方で、議会と市場との関係が益々緊密になっている。」

 汪にとって「政治」とはなにか?それを知らなければならない。「政治」とは権力闘争のことではない、「一定の政治価値やその利害関係に基づく政治論争、政治闘争、社会運動、つまり、政治主体間の相互運動」のことである、と汪はいう。では、グローバル化した資本制の世界、シュミットのいう「中性化」した技術の時代において、世界を「再政治化」していくにはどうしたらいいのか?

簡単にいえばこういうことだ。歴史的伝統(前近代の伝統、近代の社会主義の伝統、改革の経験が含まれる)を批判的に整理し、創造的に総合すること。政治的価値を再構築すること。わたしたちの政治空間や政治生活を活性化すること。そのためには、差異、対抗性、創造的な緊張を打ち消してはならない。

汪によれば、不断に歴史記憶を叙述する琉球の闘争は「脱政治化」を免れている稀有な例だ。帝国主義、第二次大戦、冷戦、安保条約、社会主義、資本主義など琉球は20世紀をすべて記憶している。琉球の闘争の「新」はこの構造の「旧」に拠っている。もちろん、構造とは静態ではなく動態である。

「政治はある要素とそのほかの要素との間に独特な関係を形成する方式なのだ。」政治を音楽に例える汪。樂を好んだ孔子の遠い末裔を汪に見るのは私。温故知新。

(大和田善博 2011/4/30)

コメントの投稿

非公開コメント

サイト内検索
カテゴリ
お問い合わせ

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。