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国家の犯罪に抗う民衆の記憶

国家の犯罪に抗う民衆の記憶

現代世界の国家の犯罪、それに抗う民衆の記憶をめぐって議論しあう《方法としてのアジア/方法としての沖縄 ワークショップ「国家の犯罪、民衆の記憶」》が16日、沖縄大学で開催された。フランスの社会運動、脱原発運動、文化実践にかかわる政治哲学者アラン・ブロッサとアーティストのコリン・コバヤシとい沖縄初訪問の2人を迎えて、東日本大震災、沖縄の現状とも繋げての議論に、会場は静かな熱気に包まれた。

アラン・ブロッサ
アラン・ブロッサ

アラン・ブロッサは民衆の記憶を国家に対峙させることの重要性を、ヨーロッパの歴史を振り返りながら語った。ヨーロッパでは1968年を境に、忘れられた民衆、少数派の記憶について広く考察する立場と、それを国家が都合のいいように回収する動きがあった。前者では、民衆の記憶を国家に抵抗させていくことを説いたミシェル・フーコー、学校で地方の言葉を教えたり、パリ・コミューンについて教えたりするなどの取り組みがあった。

80年代にフランスの歴史学者ピエール・ノラは『記憶の場』シリーズを編纂し、民衆の記憶を単純化し、ノスタルジーに過ぎないものとした。これ以降、支配層はノラの主張を利用し、民衆の記憶の争点回避を図った。その結果、1989年のフランス革命200周年はファッション化してしまった。また、シラク大統領はユダヤ人に対するフランス人の罪を認める形で、逆にそれを相対化した。

コリン・コバヤシ
コリン・コバヤシ

コリン・コバヤシは東日本大震災、とりわけ原発災害の内部被爆を国家の暴力装置という観点から論じた。広島・長崎と福島は被爆問題で繋がっている。なぜなら福島の放射能汚染の基準値は、内部被爆の情報が消去された広島・長崎からきているからであり、このことを深く考える必要がある。「ただちに影響は無い」という見解を含め、日本政府の対応は国家の犯罪といわざるえない。

さらにコバヤシは、「アーティストがなぜ社会に口をつっこむのかといわれることもあるが、(危機的状況において)専門領域から少し出なければならない」と述べ、長年社会運動を実践してきた者として、重みのある発言をした。

後半の意見交換では、フロアから「パレスチナのインティファーダを沖縄でもやるべきではないか?」という悲痛な意見が挙がった。これに対しブロッサは、「パレスチナは地獄です。沖縄の現状を軽くみるつもりはまったくないが、パレスチナと沖縄はいっしょにできません」と述べ、コバヤシは、「パレスチナの人々は武力で抵抗することの無力さを理解している。パレスチナのおかれた状況を怒るべき、そしてそれを支援すべきは外部のわれわれである」と応答した。

最後にブロッサは、「『ジェノサイド』を定義する新しい言葉を民衆が創る必要がある。東日本大地震への日本政府の対応は、後々『ジェノサイド』と呼ばれるかもしれない」と警鐘を鳴らした。

(西脇尚人)

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