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書評『稲嶺恵一回顧録 我以外皆我が師』

書評『稲嶺恵一回顧録 我以外皆我が師』

稲嶺恵一回顧録

稲嶺恵一(編著) 琉球新報社 (2011/01出版)
B6判・上製・463頁 2380円

本書は1998年から2期8年沖縄県知事を務めた稲嶺恵一氏の琉球新報紙面に連載された回顧録をまとめたものである。米軍基地あるがゆえ保守と革新2つの勢力のはっきりとした対立構造にある本土復帰後の沖縄の政治状況において、県知事は双方が交互に入れ替わる形でそれまでは続いてきた。しかし、稲嶺氏が2期努め、次の仲井真弘真氏へと保守系が継承され、その仲井真氏も2010年に再選を果たしたことの意味は間違いなくかなり大きい。そのことを吟味しそこからどれほど学ぶ点があるかが、本書への評価ポイントとしてあるだろう。

慶大卒業からいすゞ自動車へ入社、そして琉球石油へと渡り、政治の世界に進むのは決して好きではなかったという本人の性格も、沖縄の現状の力には抗えず県知事に担ぎ出され当選を果たす。その後の沖縄は、グスク群の世界遺産登録、沖縄サミット、大学院大学、金融特区、9・11テロ、ちゅらさんブーム、米軍ヘリ沖国大墜落、そして在日米軍再編へと慌しく揺れ動く。

そのなかでもやはり2006年の在日米軍再編の渦中において、稲嶺氏がその中心的ポジションから、日本政府によって巧妙に外されていく一連の過程を述懐している部分はそれなりに興味深い。なぜならば、それはいわゆる「普天間移設問題」に関する政府と沖縄県の交渉レベルにおいて、現在の民主党政権と仲井真県政の交渉を見極めるヒントがほのめかされているからだ。

1996年のSACO(日米特別合同委員会)合意に基づき、普天間飛行場を辺野古沖に移設することを「苦渋の選択」として容認するというのが当時の稲嶺県政のスタンスであったが、「反対派の阻止行動のため、移設作業が思うようにはかどらない」(稲嶺氏)ことを、「作業が進捗しないのは沖縄県が協力しないからだ」と、防衛庁の守屋武昌防衛事務次官(当時)が言い出したあたりから、政府は稲嶺県政を見切り、頭越しに名護市を始めとした地元首長の抱え込みに転じる。ここでは「稲嶺氏が大規模返還に反対した」との趣旨で稲嶺氏を批判している守屋氏への反論が書かれ興味深い。

さらに北部首長を抱え込んでいく額賀防衛庁長官の執拗さと強引さの裏には、小泉首相から地元の合意を得るという最も難しい役割を押し付けられたため、「命がけでぶつかってきた」と稲嶺氏が解釈している部分も見落とせないが、結局額賀防衛庁長官の狡知によって北部首長は政府案に合意し、稲嶺氏は四面楚歌状態におかれる。額賀氏から呼び出され北部首長共々上京しての顛末も稲嶺氏の視点で描かれ興味深い。

忘れてならないが、稲嶺氏を担ぎ上げ県知事に勝たせたのは自民党政府である。大田県政に対し「県政不況」というイメージ戦略を仕掛け、莫大なカネを注ぎ込むというやり口は確実に功を奏した。その中央政府といったんは強力なパイプを創り上げた稲嶺氏であるが、「苦渋の選択」を配慮されなかったことで日米政府案に合意せずといった途端冷たくあしらわれた。「俺たちのいうことをきかなければこういうことになるのだ」という見せしめに等しい。

かつて政府とのパイプを断たれた大田県政の二の舞は避けたいとの思惑から基地容認姿勢をとった稲嶺県政も、政府と真のパートナーシップを構築することはできなかった。このことを現在の仲井真県政は参考にすべきであろう。なぜなら、実際の政治を動かす力は政治家よりも官僚の方が大であるから。政権が変わったところでそれは変わらない。

(西脇尚人 2011/4/9)
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