twitter @oam0

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

国家を越える想像力

「ナマ(今)とぅびぃん! オルタナ・クール」第9回

日時:4月1日(金)19時~21時場所:カフェcello (那覇市泉崎)

タイトル:思想にゆられて

ゲスト:
川満信一さん
1932(昭和7)年4月30日、沖縄・宮古島に生まれる。1952年琉球大学国文学科入学。『琉大文学」に参加。1956年沖縄タイムス社に入社(記者)、鹿児島支局長、「新沖縄文学」編集長、文化事業局局長など歴任。



1980年代前半に書いた「琉球共和社会憲法草案」も採録された著作が昨年出版され、川満信一さんの思想を再評価する気運が高まっている。「とっくにチリ箱に葬られたものが一世代後から見直されるのはいったいなぜ?」川満さんは半ば自嘲しつつその原因を想像する。「信頼しきってきた近代国民国家に対して行き詰まりを痛切に感じ、そのシステムをなんとか突破したいという気持ちが高まっているのではないか」。滔滔と詩人は語り始めた。

我々は毎日働き、収入を得、日常生活を送っている。これを「現実」と呼ぶが、たんに食べて働いて寝ているだけではない「非現実」が一方である。「非現実」は子どもがぼうっと空を眺めている想像力の世界。「現実」と「非現実」は交錯して存在する。その「非現実」の世界を「異場」と呼び、異場から現実を振り返る作業が思想として大事ではないか。

当時、現実主義者から「非現実的」「遊び」として相手にされなかった「琉球共和社会憲法草案」は、近代国民国家の行き詰まりの中で、今リアリティを持ち始めている。

1960年代にマルクス・レーニン主義などに影響を受けたが、同時にヨーロッパの合理主義だけでは解釈できない余剰があることに気づき、仏教を片っ端から学び、「アジア」に近づこうとした。

沖縄は戦後27年間にわたる米軍統治下におかれた。民主主義の国といわれるアメリカによる言論統制、肉体的暴力に晒され、他方で、その間日本本土は高度経済成長を上り詰めていく。そんななかで国家に対する不信が生まれた。

日本が沖縄を復帰させる時、まだ日本国家に属していない沖縄から国政議員を出させようというデタラメな話が出てきた。沖縄の復帰を、沖縄から要望させ代表を出させ同意を得たという形式を整えるためのしたたかな策略であると見破り、国政参加拒否闘争を展開した。その流れの中で復帰を拒否する動きとなった。

しかし、国政参加拒否闘争も、それ以前に出された独立論、信託統治論、海洋資源を原資にした自立論なども、多くの支持を得ることはできなかった。なぜ支持を得られなかったか?現象的な政治は常に利権がらみに終始する。前衛的革新系をまとめてきた人民党は共産党へ、その他の政党も中央政党へ系列化した。労働組合も系列化していった。島ぐるみ闘争で一つにまとまっていたエネルギーがそれによって分散化された。国政参加と政党・労働組合の系列化が同時進行で行われたことが大きい。

ところが復帰後も基地がそのままの状態をみて、革新系は「こんなはずじゃなかった」と反省にとらわれた。その停滞のまま80年代に入っていった。この停滞したままの状態をなんとかしなければいけない。そのためには理念的な目標を立てる必要がある。そこで「琉球共和社会憲法草案」を起草した。

沖縄タイムス記者としてCTS闘争を取材したとき面白い体験をした。誘致賛成派と反対派に二分される宮城島で、収穫したさとうきびのトラックに乗ったその女性は、カーブで急な振り切りをされ投げ出され怪我をした。運転手が誘致派だったためだという。「こんなことをするのは非国民だ」とその女性はいったことに驚いた。そこから、国家の都合で物事が進められることに反抗するために、「非国民」という位置に退いたときに、初めて国家へ異議申し立てをできるのではないかと考えた。

近代国民国家は理想的なモデルではない。「異質文化論」で近代国民国家が孕んでいる問題を解決することはできない。思想というものは、もっと本質的なところに降りていかなければいけない。

日本が沖縄をいじめているからとかいう理由で、沖縄が近代国民国家をモデルとした独立国家となった場合、併合から逃れるために血の代償を負わねばならないだろうし、自衛のための軍隊を持つ必要に迫られるだろう。そのような余計なシステムを抱えれば、経済自立どころの騒ぎではなくなる。世界情勢を見ても、第二次大戦後、たくさんの民族が独立していったが、フィリピンのマルコス政権のように内部弾圧、内部紛争が絶えない。

日本と沖縄は紀元前に遡るくらいの歴史で近い関係を持っている。いつでも手を握り合っていなければいけない。ただし、現在の統治のシステムでは、沖縄をますます酷い目に合わすのは目にみえているので、そのシステムを変える議論をしなければならない。国家のシステムを変えることと「日本人憎し」を分けて考える必要がある。

「琉球共和社会憲法草案」では国家の廃絶、一切の法律の廃棄が謳われている。法律には「自然法」「実定法」二つの法体系がある。「自然法」は、地域に生きる人が基本的な理念とするもの。そのための具体的なとりきめが「実定法」。憲法からは実定法を取っ払い、自然法のみにすればよい。そうしたときに起こる諸問題は倫理的な社会が解決する。

済州島での交流には想像力を刺激された。済州島から琉球弧、そして台湾までを越境していく憲法。ここは非武装地帯であり、大陸は手を出せない。それは東アジアを覆う戦争の危機に対する手立てとなりはしないか。その越境憲法をみんなで創ろうじゃないかという呼びかけをしたい。

国境による分断は想像力によって超えられる。かつてロケットが月に到着したように、それは必ず越えられる。そのように射程距離の長い構想として越境憲法はある。

(文責:西脇尚人)

関連記事:
書評 「川満信一個人誌 カオスの貌」
別冊『カオスの貌 川満信一個人誌』
書評『沖縄発――復帰運動から40年』
サイト内検索
カテゴリ
お問い合わせ

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。