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書評 『うちなあぐち賛歌』

書評 『うちなあぐち賛歌』

書評『うちなあぐち賛歌』


著者:比嘉清
出版社:三元社
定価:2200円+税


沖縄ではうちなあぐちの再評価が最近活発だが、著者は散文活動だけは例外だと指摘する。標準語の出来不出来がエリートの尺度にもなることから、「なにもそこまでしなくてもいいのでは」という本音が沖縄人にあるのではと危惧している。

 私は沖縄で生活するヤマトンチュだ。うちなあぐちを覚えたいとは思うが、那覇での日常生活でそれは難しい。うちなあぐちで話される会話を見る機会がほとんどないからだ。その点うちなあぐちの書き言葉に拘った本書は習得の手助けとしてうってつけだ。

 なぜうちなあぐちが使用される機会が減ったかといえば、その歴史的背景には明治の廃藩置県、皇民化教育、標準語の押し付け、方言札という差別的うちなあぐち禁止政策など、日本の植民地政策が大きく影響を与えるている。

 沖縄ブームが幸いして?「うちなあぐち」という言葉も全国的に浸透しつつある。沖縄県民が話す方言=「うちなあぐち」とだいたい理解されているようだがこれは正しくない。

 うちなあぐちを話す沖縄の年配世代にとって、言葉とは「どこのシマ(島、村)のムニー(言葉)」かが問題なのであって、沖縄全体の言葉の総称が必要だとは思いもよらないことのように思える。「比較的多用され、市民権を得つつある呼称『うちなあぐち』も、『やまとぅぐち』に対するものとして使うようになったとの説もあり、うちなあぐちで育った筆者でさえ、子供の頃は耳にしたことがなかった。」(P19~20日本語部分引用)

 それぞれの集落ごとに豊穣な言葉があり、つまりそこが世界だった。そこでの生活が完結しているときはその範囲で使う言葉があればそれで充分だった。しかし沖縄島がひとつにまとまる(まとめる)必要が出てきたとき、全体で通じる言葉がつくられた。それが「うちなあぐち」だ。

 沖縄ではうちなあぐちが衰退することに危機感を持ち、再評価する動きが最近では特に活発だ。だが著者はその中でも散文活動だけは例外だと指摘する。標準語の出来不出来がエリートの尺度にもなることから、「なにもそこまで(散文活動まで)しなくてもいいのでは」というような本音が沖縄人にあるのではと危惧する。これは新鮮な問題提起ではないか。沖縄文化について散文で表現するというこれまで少なかった取り組みを多くの人に知って欲しいし、また味わって欲しい。

(西脇尚人 2007/01/09)
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