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本音を隠す言葉の暴力―「抑止力の維持と負担軽減」のウソ

本音を隠す言葉の暴力―「抑止力の維持と負担軽減」のウソ 2006/10/26

21日(土)沖縄・宜野湾市の沖縄国際大学で行われた「大学人9条の会 第3回シンポジウム 米軍再編と憲法改悪-憲法9条をまもるために」を聴いて、つくづく表現の仕方による言葉の暴力の問題を再考させられた。市民記者という立場で記事を書く者としての自戒も込めて、シンポジウムから刺激を受けて考えた事柄を書いてみたい。

 シンポジウムの内容は以下の通り。第1部基調講演では我部政明氏(琉球大学教授)が「米軍再編と日米安保のしくみ」について語った。その後、辺野古からの声として、「ヘリ基地反対協」の安次富浩氏が現場からのメッセージを伝えた。第2部シンポジウムでは佐藤学氏(沖縄国際大学教授)が「米軍再編とアメリカの国内政治状況」を、高良鉄美氏(琉球大学教授)が「米軍再編と憲法改悪の構造」を語った。第3部でパネリストと会場との質疑応答が行われた。

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基調講演で米軍再編について語る我部政明氏。

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第3部ではパネリストと会場との質疑応答がなされた。

 それぞれ意義のある発言であったが、基調講演で我部政明氏が触れたある点が、シンポジウム全体を通す文字通り基調となっていたように私には思えた。それは、米軍再編問題で日本政府がしばしば語る「抑止力の維持と負担軽減」という言い方だ。

 「抑止力の維持と負担軽減」については、例えば防衛庁HP内の報道資料(注1)では「こうした現状を踏まえると、幅広い国民の理解と協力を得て今後とも施設・区域の安定的な使用を確保し、日米安全保障体制を維持・発展させるためには、抑止力を維持しつつ地元の負担を軽減することが重要である」と書かれている。

 我部氏は、今回の米軍再編がイラクやアフガンで進行する不正規(変則)脅威に対抗できる「いつでも、どこでも、誰とでも戦う」軍隊に変革することが目的であると指摘した上で、「抑止力というのは、銃を突きつけられた相手が自分の命は惜しいのでそこで留まることをいう。しかしテロリストには抑止力が効かない。なぜなら、彼らは自分の命が惜しくないからだ」と語る。

 さらにPAC3(パトリオット・ミサイル)についても「事実上、抑止力が効かないから発射された敵ミサイルを迎撃するものだ」として、こちらも抑止力という言葉の矛盾を指摘した。

 ちなみに、本紙の比嘉康文記者の記事「『パトリオットは米国に持ち帰れ』 市民団体が座り込み」(注2)の後日、機動隊が導入され市民たちをごぼう抜きし、パトリオット・ミサイルは米軍基地内へ移送された。シンポジウムと同じ日には、これに反対して県民大会が開かれ1,200人の市民が抗議の声を上げた(注3)。

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PAC3ミサイル本体陸揚げで待機していた輸送船。うるま市の米軍天願桟橋前。

 昨年10月に日米政府が沖縄の「負担軽減」として掲げた内容は、「(1)本島中南部の基地の全面・一部返還(2)嘉手納基地のF15戦闘機訓練の本土移転(3)米海兵隊の兵員削減」とされている。

 (1)については牧港補給地区(キャンプ・キンザー)、那覇港湾施設(軍港)は全面返還し、本島北部のキャンプ・シュワブかキャンプ・ハンセンに集約すると補足され、その具体的内容をよく読むと北部への移設、押し付けであることが分かる。 「全面返還」というと基地が全くなくなるかのような錯覚を起こしやすいが、たんに「沖縄から沖縄へ返還」されるだけだ。普天間飛行場から辺野古沿岸への移設については、MV22オスプレイ配備を想定しての最新鋭の巨大軍事基地建設ではないか、と問題視されている。

 (3)については、グアムへ移転される海兵隊員は司令部付きか後方支援の部隊であって実戦部隊ではない。最前線で人殺しをし、沖縄へ戻ってきた彼らが引き起こす凶悪犯罪は無くならないのではという悪い予測が成り立つ。そもそも7,000人という数字にしても、日本政府は米海兵隊の実数も把握せずに米政府の「言い値」をそのまま受け入れている、と指摘されている(注4)。

 その結果、約75%といわれている全国の米軍専用基地に占める在沖米軍基地の割合は約74%に留まり、減少幅はわずか1ポイントにしかならない見通しが数字の上でも現れている(注5)。これらを見ても沖縄の「負担軽減」などといえないことは、はっきりしている。

 ところで「抑止力の維持」「負担軽減」「返還」など、これら政府の発言を市民が目にし、耳にするのは、メディアの報道によるが、メディア=媒介はそれ自体の主体性が隠され、表象されるという性質を持っている。

 例えば次に引用する記事(注6)を、私は何度も読み返した。リード(前文)では、防衛庁と名護市が滑走路V字形2本の再修正に合意した旨が書かれ、2段目では、額賀氏(前・防衛庁長官)から「抑止力の維持と負担の軽減」についてのコメントが、島袋氏から受け入れ姿勢の表明がそれぞれ括弧書きで記されている。次に3段目をそのまま引用しよう。


<ここから引用>
 今回合意した計画は、辺野古崎案とほぼ同じ場所を埋め立て、南西から北東にかけてV字形になるよう2本の滑走路を造る。航空機とヘリは南西方向から着陸するが、離陸時は向きを右回りにずらした2本目の滑走路を使用する。これによって安全性を重視する地元が要望している通り、少なくとも有視界飛行では飛行ルートが集落の上空を避けられる。
<引用ここまで>


 1段目から3段目最後の「集落の上空を避けられる」まで続けて読むと、そう断言しているのは誰なのかと私は首を傾げる。むろんこの3段目は「今回合意した計画」の具体的内容を説明しているということは分かる。であれば断言しているのは日本政府ということになろう。もしそうならば「計画では・・・とされている」というような表現を本来はすべきであろう。それともこれは書き手がそう確信して書いた、つまり主語は記者自身ということか。

 少なくとも読者は「集落の上空を避けられる」ことが既成事実であるかのように受け取る。ここには新聞記者がそう意識しているか否かに関わらず、「不偏不党」という中立性=透明性に忠実であることで権力側の言説を代表する=代弁する力に吸い寄せられるカラクリが見て取れる。

 現場からの声として安次富氏が「負担軽減という言葉は大嫌いだ。テレビなどで語られているのを聞くと腹が立つ」と述べていたのが印象深い。その不快感はマスメディアのアナウンサーの発話行為が、権力側からの押し付けとしても聞こえてしまうことから来るのではないだろうか。

 同じ21日、就任後初来県した高市早苗沖縄担当相が記者会見し、「代替施設の受け入れという新たな負担を伴う。平和や安全に大きな貢献をいただくことに関して政府として最大限の配慮をしたい」と述べたという(注7)。沖縄県民は基地受け入れによって、知らない間に平和や安全に「貢献」させられているのだ!むろんこれは「貢献」ではなく「犠牲」の方が正しいと私は思う。このような言葉の一つ一つに、しつこく「そうではない」と言い続けることがまず必要だ。


(注1)防衛庁HP内の報道資料
(注2)「『パトリオットは米国に持ち帰れ』 市民団体が座り込み」
(注3)沖縄タイムス10月22日付
(注4)沖縄タイムス5月17日付
(注5)沖縄タイムス5月27日付
(注6)asahi.com4月8日付「滑走路V字形2本/普天間移設再修正」
(注7)沖縄タイムス10月22日付

(西脇尚人)

     ◇

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