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書評『米軍政下の沖縄 アメリカ世の記憶』

書評『米軍政下の沖縄 アメリカ世の記憶』

アメリカ世の記憶

森口豁(写真・文) 高文研(2010/10)
サイズ : 21cm / 124p 1,680円

 著者・森口豁氏が記憶に刻むアメリカ世。彼が二十~三十代の頃の記憶だ。ちょうど、今の自分くらいの頃。森口氏が刻みつなぎとめてきた記憶を見ている自分。「アメリカ世」と何一つ変わらない沖縄の<いま>に私はいる。彼の記憶を私の記憶につなぎ、沖縄の<いま>の記憶に重ね合わせてみた。

 「カメさんを支えた夏」と<いま>をつなぐ。この文章が掲載される頃は、沖縄県知事選挙が終盤に差し掛かっている頃だと思う。一月の名護市長選挙に始まり、各市町村の首長選挙、夏の参議院選挙、秋の市議会議員選挙、そして最後に沖縄県知事選挙。今年は選挙に始まり、選挙に終わる一年のようだ。米軍の新基地建設をめぐり長年にわたり、揺れ続けた地域に住む人々の多くは、これで終わりにしたいという強い思いを持っているように思える。名護市では、「新たな基地は、海にも、陸にも、いらない」と、その東海岸出身の稲嶺進新市長が誕生した。しかし、選挙が終わって見ると、それまで稲嶺氏を応援してきた議員の数名は寝返る状況が起きるなど、議会は中立会派が混ざり、与野党が拮抗する状態に。そして、五月の日米合意、鳩山首相の退陣、日米合意を踏襲し、辺野古に基地をつくる方針を変えない菅新政権発足などを経て迎えた秋の名護市議会議員選挙では、候補者が乱立。仲井真現県知事、前原大臣が隠密に会いに行ったという島袋吉和前名護市長などの応援もあり、反市長派が過半数の議席をとるのではという予想が強かった。しかし、結果は市長を支える立場の候補者達の圧勝。長年、保守市政の下、基地を容認してきた名護市で、「基地に頼らないまちづくり」を目指す市長が誕生してから少しずつ、確実に起き始めている変化。民主主義の確立と、新基地建設撤回のために市民一人ひとりが燃えた。28日開票の沖縄県知事選挙。県民一人ひとりは、どう答えを出し<いま>をつなぐのだろう。

 「自衛隊の戦史研究」と<いま>をつなぐ。今年十月七日朝のキャンプ・シュワブゲート前。毎週木曜日、朝の一時間、新基地建設に反対をして座り込みを続ける地元辺野古のおじい、おばあ達を中心に、ヘリ基地反対協や市民有志らが集まり、キャンプ・シュワブのゲート前で、新基地建設反対のアピール行動をしている。その日、私はその様子を取材に来ていた。通勤の車の行き来が多い朝の県道。数十台のバスの列がやって来たかと思うと、基地の中へ入って行く。朝日の光でよく見えないが、団体名に「~学校」と書いてある。平和学習の修学旅行もあれば、基地内見学の修学旅行もあるのか…まさか。「自衛隊よ!自衛隊のバスが基地に入って行く!」自衛隊幹部学校と書かれていることに気が付いた一人の女性が叫んだ。何人かがすぐさま手に持っていた基地はいらないなどのメッセージが書かれた看板を持って、バスの近くまで寄って強くアピールしている。バスはカーテンが閉まっていて中の様子は見えない。私はバッグからカメラを取り出して基地へ入って行くバスを追って撮影していた。おじいは、バスが出て来るのを待って抗議したいと申し出ていた。家族を戦で兵隊にとられ亡くしたおばあ達や、自らも兵隊となり戦を経験したおじいにとって見れば、心中穏やかな出来事では無かっただろう。
 調べてみると、戦史教育の一環での基地視察。米軍の使用している装備を見学することが目的としていて、昭和四十年から毎年行われているという事だった。シュワブを視察するのは初めてだったらしい。新基地建設だけではなく、自衛隊との共同使用、継続使用などの話も報道されている時期に、シュワブの初視察というのは、偶然だったのか、必然だったのか。その日の夕方、地元テレビ局QABのニュースで、この事が報道された。「この事実をどのくらいの県民が知っているのでしょうか。」と結んでいた。
 辺野古の座り込みテントで、この話をした。「昭和四十年から来ているって復帰前じゃない?復帰前に来ていたら、自衛隊が来ていたら大騒ぎになっているはずよ。間違いじゃないの?」という反応。しかし、森口氏のアメリカ世の記憶には、1966年の「戦史研究」で中城城址を訪れる自衛隊幹部候補生の様子が刻まれている。「復帰のめどさえ立っていない1966年」は昭和四十一年。戦史教育にようる沖縄訪問が始まったという翌年の事だ。QABアナウンサーの声が反響してくる。
 「この事実をどのくらいの県民が知っているのでしょうか。」

 アメリカ世もヤマト世も、何も変わっていない。一枚一枚の写真がそれを物語っている。しかし、写真の中を飛び出し、私達が生きる<いま>、目の前に広がる景色に、そのアメリカ世の面影は残っていない。この島に生きてきた人々の歴史がしみこむ土地は開発で、現代のコンクリート建物に消え、県外から訪れる無理解のヤマトンチュに踏みつけられていく。その歴史を知らないウチナーンチュの若者も増えただろう。「私達は日本人です」、校舎に描かれた日本地図、メーデーで掲げられた日の丸。あれらは一体なんだったのか。県外からこの地に赴いた私に、問われ続けている問題だ。旧三和村の屋敷内に逃げ込むおばあの向ける瞳は、写真を通し、時を超えて私の瞳に向けられ問いかけてくる。

(江藤直樹 2010/11/25)
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