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グスク前夜の遺構群を語る講座

沖縄県立埋蔵文化財センターの企画展「10周年展 埋文センター10年の歩み」に関連して文化講座「後兼久原(くしかにくばる)遺跡からみたグスク時代前夜の沖縄」が20日、同センターで開催された。以下、講師の知念勇・宜野湾市立博物館館長の講演内容を中心にレポートする。

知念勇
知念勇さん

北谷町後兼久原遺跡は、読谷村吹出原(ふきだしばる)遺跡、宜野湾市伊佐前原第1遺跡などと共に、11世紀後半から13世紀にかけての遺跡である。沖縄各地にグスクが築かれる13世紀から首里に権力が集中する16世紀前半までとされるグスク時代より前ということで、「グスク前夜」と知念さんは名づける。

後兼久原遺跡では、掘立柱住居址、高床式建物址、畠址(畝状遺構、鍬痕、植栽痕ピット)、土壙墓などの遺構が検出された。これらが一ヵ所にまとまって発掘されたのは珍しい。さらに、滑石製石鍋、カムィヤキ、玉縁口縁(たまぶちこうえん)白磁碗、砂鉄貯蔵穴、鍛冶資料、グスク土器などが出土した。これらの調査結果にはいくつかの特徴がある。

集落周辺に畠や墓があるということ。掘立柱住居に住み、その近くで農耕が営まれていたことをうかがわせる。農耕社会の発展がこの時代にあったことを例証する。ちなみに、沖縄最古の農耕遺構は、8世紀頃の那覇市那崎原遺跡であるとされている。

4基の土壙墓のうち2基は木管使用の墓で成人男性が葬られている。一般人ではなく特定の人物であると考えられる。さらに1号土壙墓の男性は、仰臥屈葬で両手上腕部と下腿部の筋が発達している。鍛冶資料との関連でいえば鍛冶職人ではないかと考えられている。これらの土壙墓は副葬品の有無の違いを除けば立地・葬法の点で本州中世の土壙墓と共通点がある。

これらのことから、滑石製石鍋、カムィヤキ、白磁碗などの外来品と共に、九州などからまとまった人の移動があり、集落を形成したのではないかと考えられる。知念さんはこれらの人たちが在地人に割り込んで共に生活していたのではとしたうえで、「そもそもなぜこの人たちが入ってきたのか?交易だけではなく、本土にいられなくなった人たちも移ってきたのではないか」と推測した。


沖縄の考古学上事例がこれまで少なかったグスク時代の調査は最近進んでいる。農耕社会の発展、地域の支配者按司の登場など琉球・沖縄の「国家の起源」を問う上で、その調査結果は重要な議論を現代の沖縄にもたらすだろう。質疑応答での参加者からの活発な発言もまた、自分たちのアイデンティティーについての関心の高さを現していた。
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