twitter @oam0

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

書評『大城弘明写真集 地図にない村』

書評『大城弘明写真集 地図にない村』

再度2 大城弘明写真集

大城弘明(写真)仲里効(解説) 未來社(2010/08 出版)
152p / 22cm / A4変型判 価格:¥3,990 (税込)


気がつくと『大城弘明写真集 地図にない村』を手にとり、パラパラと頁をめくっている。それほど写真集という書物に心惹かれない私としては、かなりの偏愛ぶりに照れ笑いを独り浮かべたりする。ところがその魅力を書評というかたちでいざ書こうとすると、まるでダメだ。どうしてもその偏愛ぶりを言語化できない。かろうじて脳裏を掠め去来したのが、キャプションとしてふさわしいかも知れない「キョ」という音声であった。

001 【喜屋武小学校へ通った道】では、今でも糸満へ行けばみかけるような、遠くが見渡せる地平線とまっすぐ伸びる一本道の遠近法がある。写真家が幼少時に通った永遠の道を追憶する意図があるのかないのか。アメリカの作家、ヘンリー・ミラーのエッセイ集『追憶の追憶(原題:Remember to remember)』というタイトルをにわかに思い起こす。 過を思い出すために覚えておけという背反的な命題は、『地図にない村』のオープニングにふさわしくないか。

063・064 【一家全滅の家】というキャプションを確認する者は思わず「ああ・・・」と嘆息する。そしてまた写真を見返し、それがまさしく「そうであること」を確認する。その往還自体は徒労感しかもたらさない。いや、その徒労感に屈せず、その往還の途中で「なにかがある」と意思を持つのだ。そうすることで、そこが廃とはいえないことが分かる。整然とつまれたコンクリートブロックの囲いがなによりの証拠。シマ(共同体)の成員がそうはさせない。そうはさせないある力と「」がないまぜの広場。死者との互酬制。

016 【ひ孫が来たよ】では、被弾を受けた傷を覆う大きな眼帯の老婆と、老婆に抱えられた赤子は互いに見詰め合わない。住の外からカメラが捉えるのは、そんな二人を射す電灯と窓から漏れる明かり。屋外のこちら側は黒一色だ。反対側の窓の向こうからは日が射しているのであるから、夜であるはずがない。明暗の著しいコントラストは、紋切り型といわれようが戦さがそこに潜んでいることを想像させてしまう。

091 【反戦米兵と支援の活動家】。をあげる反戦米兵が沖縄にいたことを君は知っているか?私は知らない。

077 【米軍演習阻止闘争に参加した中学生たち】。彼らは否している。やんばるの傾斜に怯えながらも。なにを否?基地を?閉ざされた将来を?自分と同じ学生帽を被っている友の険しい視線の向こうを?それにしてもやんばるの山々がこれほど峻厳だとは。

031 【静かな村】こそ俯瞰から捉えていたい我がシマなのか。地図にない村。点を定めたいのか。そうするためにパースペクティブは必要か。写真家の立つこの高みはどこだろうと詮索するよりも、そのときの写真家の震えを想像したい。これは鳥瞰図ではない。

(西脇尚人 2010/11/8)
 
サイト内検索
カテゴリ
お問い合わせ

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。