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書評 『嘉納辰彦写真集 もうひとつのウチナー』

書評 『嘉納辰彦写真集 
もうひとつのウチナー
 ―海を渡った島人―』


書評P「もうひとつのウチナー」

著者:嘉納辰彦
出版社:ボーダーインク
発刊:2010年6月

写真が語る、ウチナンチュの生き様

 来年は5年ぶりとなる「世界のウチナーンチュ大会」の開催年だ。日本随一の移民県として世界中に移民を送り出した沖縄。二世、三世と現地に根付いたウチナンチュは、5年に1度開かれるこの大会に集い、交歓する。
 本書は、そうして沖縄からボリビア、アルゼンチン、キューバに渡った移民とその子供、孫らの姿をポートレイトに収める。モノクロ写真の粒子の粗い質感は、彼ら彼女らが移住し暮らす土地の、砂埃の混じった乾いた空気や、苛烈な熱帯の暑熱をも伝えるようだ。
 「日本一貧しい県」と呼ばれ、故郷を離れざるを得なかった戦前、そして、沖縄戦で焦土となり、銃剣とブルドーザーにより伝来の土地を奪われ、生きる糧を失った戦後。それだけではない。移民を迎え入れた異国の地では、辛い開墾の日々や風土病が待っていた。道半ばにして命を落とした人も多かったにちがいない。
 移民一世の顔はどれもあかがね色に焼け、しみだらけ。深く幾重にも刻まれた皺もまた、幾年にもわたる労苦をしのばせる。静けさをたたえたまなざしは、ようやくにして手にした平穏な日々を伝えるが、その視線の向こうには、かつて暮らした故郷での日々が見えるのだろうか。
 二世の表情は少しだけ複雑だ。笑顔も多いが、やんちゃなしぐさ、窪んだ眼窩の深い影から覗く、鋭い視線。移民の子として、一世とはまた違った困難を味わったに違いない。対照的に屈託がないのは三世だ。孫にあたる子どもたちは安定した生活基盤の中、現地でエイサーや舞踊を学ぶ中で、まだ見ぬ祖先の地に思いをはせ、ウチナンチュとしての自分を発見することだろう。
 写真の一枚一枚から立ち昇るのは、手ざわりのある民衆史だ。「もうひとつのウチナー」という題名には、「海外に渡ったウチナンチュ」という字句どおりの意味と、そしてもうひとつ、新聞やテレビでは伝えられることのない「ウチナンチュの生き様」、というダブル・ミーニングが隠されているように思う。
 私のようなヤマトの人間が本土で触れる沖縄とは、基地にあえぐ沖縄であり、反戦を叫ぶ沖縄であり、かたやその対極としての、まばゆい海と空に囲まれ、「なんくるないさー」と泡盛を酌み交わして唄って踊る、明るい県民が暮らす沖縄だ。どれも沖縄の一側面なのは間違いない。しかしそれは、言ってみれば「観光客向け」の、よそゆきの姿に過ぎない。
 大和世、戦世、アメリカ世、そして大和世と、歴史にほんろうされた日々の中でも続く喜怒哀楽。本書は、労苦をかさねたウチナンチュの心根の一端を、ヤマトの私にも垣間見せてくれるのである。

(斉藤円華 2010/10/19)

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