twitter @oam0

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

沖縄で市民記者が必要なわけ

沖縄で市民記者が必要なわけ
「感じさせる」メディアつくりたい
オーマイニュース掲載 2006-09-02


s-image006.jpg
7月沖縄にて左端:西脇尚人 右端:呉連鎬(オ ヨンホ/オーマイニュース・インターナショナル代表) (撮影者:堀信)

 つい先日、あるコミュニティFMでパーソナリティを務める友人から声をかけられ、番組にゲスト出演することになった。

 「西脇さんの活動について話をして欲しい。特にメディアについて」という彼女は、メジャー・メディアの情報に不信感を持ち、日ごろ私のブログ ( 「癒しの島」から「冷やしの島」へ)などから情報を得ている。私のブログが信頼できるメディアだといってくれる稀有な人だ。

 番組の中でメディアの問題、そして市民メディア「オーマイニュース」についても語った。市民記者という新しい概念を説明することに窮していたところ、「顔の見える産直野菜みたいなものかしら?」と彼女が合いの手を入れた。「なるほど!」と我に返った。

 食の安全が取り沙汰されるなか、一部の自然食品店のみならず、一般のスーパーでも「地産地消」「安全な有機栽培」の野菜コーナーが目につくこのごろ。生産者の顔写真がパネルで貼り出されたりしている。市民記者の書く記事は、不揃いの有機野菜のようなもの。生産者の顔が見えるということは、実名登録による「責任ある参加」と合致する。

 生まれも育ちも東京の私が沖縄へ居を移したのは3年前。来沖前は資本制経済への対抗運動を掲げるある組織、そして ecology & culure NGO 「ナマケモノ倶楽部」などで活動していた。それぞれ硬軟両極端な活動に参加することでバランスをとっていたところもある。

 そんな中で9・11同時多発テロが起こった。そして「テロへの報復」戦争が続く。テレビでは脅迫的なまでに執拗にニューヨークの被害状況がリピートされる一方、諸活動のネットワークからインターネットを通して目まぐるしいほど様々な情報が入ってきた。そしてそれらの情報はテレビや新聞で報道されているものとはまったく別の情報だった。アメリカの陰謀説、アフガニスタンで何が起こっているのか?などなど。

 メジャーの報道と極端に違うそれらの情報の真偽はいったいどうなっているのか?
 そうでなくてもインターネットの情報はピンからキリまである。その中でどれを信じればよいのか?

 私はそれらの情報を紹介し転送する人が、尊敬するアクティヴィストであることを確認し、その情報を信用した。「この人が紹介する情報なら信用してよい」と判断したのだ。それは「顔の見える産直野菜」を選ぶ消費者に似ている、といえまいか。

 当時から沖縄への関心は高かった。沖縄の問題は日本の問題であり、また日米の問題、つまりアメリカ単独覇権の現在では世界的な問題ですらある。生活レベルからその現場に立とうと思い沖縄に来た。そして改めて分かったことは、メジャー・メディアが伝えない情報、その最たるものが沖縄問題であること。

 ここで沖縄問題というのは、薩摩藩による侵攻から、近代化の過程を経て現在まで続くコロニアル的状況、日本全体で75%の米軍基地が占拠し続けることに原因する沖縄自立・自治崩壊などの問題を指していう。そしてそれらを隠蔽するかのような「青い空・青い海・癒しの島」など、観光イメージの洪水・・・。

 私は高度経済成長期に生まれ、バブル時に青春時代を送り、ヒト・モノ・カネが集約する東京という「中心」でその「豊かさ」を享受する人生をそれまで過ごしてきた。冷戦時代からベルリンの壁崩壊、そしてテロの時代へと、この国の「平和」な日々はどうして続いたのか? 憲法9条があったから? 日本人がモーレツにがんばったから? NOではないがそれでは十分ではない。その答えは、日米同盟によってアメリカの軍事力の傘の下にいられたから、ではないのか。そしていうまでもなくその負の代償が沖縄の米軍基地の存在だろう。日本人はまず何よりもそのことを認識すべきではないのか。

 だがその認識がなされないのは無理もない面がある。そもそもそれらの情報がそれに相応しく伝えられていないのだから(学校教育においては尚更のこと)。

 2年前の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故報道を思い返せばよい。その時メジャー・メディアのトップニュースは、読売新聞ナベツネ氏の辞任、そしてオリンピック開幕のニュースだった(「それって妥当じゃない?」などと思うあなたには、沖縄の基地の町にしばらくでも生活することをお薦めする)。まずはメジャーが伝えようとしない沖縄の情報を伝えることが必要だ。

 ところで情報を知ったとして、人は動くだろうか? 「これはとんでもない。どうにかしよう!」といってすぐさま行動に移すだろうか?

 「知ることは感じることの半分も重要ではない」(レイチェル・カーソン)とするならば、たとえ知ったとしても、多くの人は「ああ、そうか。気の毒だ」と思ってはみるものの、次の瞬間日常に戻る。私自身そうだし、心当たりがある人も多いのではないだろうか?

 「いや、わたしは行動のために立ち上がる!」という人も中にはいるだろう。そういう少数者は人一倍がんばる。そしてとことんまでがんばり尽くし、いくらがんばっても変わらない世の中を呆れる。運動をやっている人に共通のジレンマだ。

 だから私は少しでも人に「感じさせる」メディアをつくりたい。少数者のがんばりを孤立させないためにも。

 それはいかに可能か?
 市民記者という制度がそれを可能とさせるのか?

 正直いって分からない。ただ、ひとつ期待しているのが紙新聞にない双方向性だ。人に感じさせるのは一つの記事というよりも、その記事に対するレスポンス、そしてそれへのレスポンスとしての次の記事、というような応酬が繰り返され、想像以上のムーブメントが起きるときかもしれない。

 ただ、最初からそんな展開になるものでもない。いろいろと問題含みだし、そうなるためには時間がかかることだろう。そしてその強い影響力によって逆方向へと導いてしまう危険性があることを肝に銘じ、自制を怠らないことも不可欠だ。
 
 私がオーマイニュースに参加するのは以上のような理由からだ。辺野古新基地建設、米軍再編、県知事選。沖縄は「いま・ここで」大きな問題を控えている。もちろんそれらも伝えるべき情報だが、同時にそういった大きな問題の影に隠された小さなニュースもそれ以上に大事にしたい。むしろそれこそ市民記者が得意とするところだろう。そしてそれは私ひとりではなく、たくさんの沖縄市民記者の活躍があってこそ成立するものだろう。
サイト内検索
カテゴリ
お問い合わせ

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。