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書評『手塚治虫のオキナワ』

書評『手塚治虫のオキナワ』

書評用p「手塚治虫のオキナワ」

著者: 本浜秀彦
出版社: 春秋社
発刊: 2010年7月


「境界」からの応答
 
 複雑な現実を理解しようと、あらゆるものを簡略化する。文明と野蛮、男と女、大陸と島。どちらか一方の立場を選び、もう一方を「私ならざるもの(=他者)」とし、視線を送る。その行為のなかで、獲得するものと奪われるもの、描く側と描かれる側などの、もともとはあるはずのない意味が埋め込まれ、力関係を成立させていく。この前提を踏まえれば、手塚治虫と沖縄は対立するように見えるだろう。手塚は本土の、描く側の人間であり、沖縄は島の、描かれる対象となるからだ。
 著者は、手塚作品のなかから「境界」を見出し、この二項対立を揺り動かす。マンガに登場するキャラクターを、単純な図式の回収されないものとして丁寧に抽出してみせる。その舞台の一つであり、「境界」そのものがオキナワという場所なのだ。
 本土側から次々とイメージが付与され続けるのと同時に、戦後日本が抱えていた問題が表出し続けるオキナワ。冒険譚の舞台や冷戦の舞台、戦争が刻印された島、そして美しい自然が残る場所として描かれてきた「南の島」であったオキナワを実際に経験することで、作品中のオキナワは実体性を獲得していく。「境界」としてあらゆるものを肯定し、それぞれがありのままの姿で混在することを許容するその島に出会い、手塚はマンガという表現方法に距離を導入した。世界を冷静に眺め、物語を駆動するための距離。手塚の物語は、オキナワという場所に固着せず、民族、人種、国家、文明、近代といった人間が抱える問題に通じるものとして描かれる。
 手塚によって生み出された「顔」を持ち、発言し、矛盾を抱えながらも行動する多様なキャラクター。たとえば、「海の姉弟」に登場する平良比佐子のような、米軍占領下の沖縄社会で生まれた「ハーフ」。動物園に売られていく途中の船の檻の中という「中間的な場所」で生まれた「ジャングル大帝」のレオ。人間とロボットとの相克の谷間で悩み、自分は何ものだろうかと苦しんだアトム。そんな登場人物たちに、親近感を覚えたのは評者だけではないだろう。
 つまり、本書が浮かび上がらせるのは、マンガという表現を与えられた人物のなかで起こるイメージとして表象されるオキナワから具体的な沖縄へと変化していく過程と、その過程を通して、曖昧な戦後日本のなかで生きる人間全員が抱えてきた諸問題なのだ。
 末尾に記された36年前のエピソードが示すように、かつて手塚マンガによって投げかけられた問いへの「南の島からの応答」が、本書であるといえよう。

(石垣良太 2010/09/27)

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