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書評 『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』

書評 『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』

書評用P 『台湾疎開』


著者:松田良孝
出版社: 南山舎
発刊: 2010年6月


台湾は1895年から1945年までの51年間、日本の統治下にあった。地図帳を開いてみるとすぐにわかることだが、沖縄本島から台湾までの距離と鹿児島までの距離とは同程度であり、また、宮古島から沖縄本島までの距離と台湾までの距離とは同程度である。すなわち、宮古以西の八重山諸島にとって、台湾は非常に近い自国の島であったということだ(台湾が肉眼で見える与那国島は、戦後、台湾との密貿易で栄えたことが知られている)。

当然ながら、八重山諸島から台湾への移住は少なくなかった。この流れは、日本の敗戦直前の1944年7月7日、宮古島と石垣島から2万人の老幼婦女子を台湾に疎開させることが閣議決定されたことにより、急加速されることになった。本書は、その「台湾疎開」の実態を体験者の証言などにより丹念に検証したものである。

疎開の対象が軍事行動に不向きとみられる者たちであったことは、疎開政策が住民保護を目的としたものでなかったことを示すものだろう。さらに、本書に収められた数々の証言により、疎開政策は棄民化政策に他ならなかったことを読み取ることができる。

台湾にも空襲はあり、安全と信じて沖縄から送り出された住民たちが辿りついた場所には、危険のため皆が逃げ出した空き家もあったという。そして絶望的な食糧不足。毒のあるカメを食べたり、マラリアに感染したあとにバナナを食べたりして(病状が悪化する)、命を落とした人が多かったという恐ろしい事実も紹介されている。いかに戦時中とは言え、そのような地に保護を目的として住民を送りこむわけがないのではないか?

植民地台湾は、常に日本人が台湾人よりも優位に立つ社会だった。敗戦後、暴力のベクトルは逆転する。本書には、台湾人に「報復される」と怯える日本人たちの姿が刻まれている。帝国という威を借りたヒエラルキーであったことを、多くの者が心の奥底で認識していたのだろう。

逆転した暴力は、当然ながら、沖縄人にも向けられた。しかしその一方、沖縄人の位置は日本人と必ずしも同じではなかったようだ。台湾人の中には、戦後、自らを一等国民、沖縄人を二等国民、日本人(本土出身)を三等国民という意味のことを言う者もいたという。台湾と沖縄との地理的・精神的距離の近さによるものだろうか、あるいは、日本の中での沖縄の置かれた差別的構造を認めていたことを示すのだろうか。前者のポテンシャルが、いまだ、ネーションという壁に阻まれていることは確かなように思われる。

(齊藤聡 2010/09/12)

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