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地元紙を本土へ伝える

週一スタジオ配信第1回
タイトル:地元紙を本土へ伝える
ゲスト:屋冨祖 仲啓さん(フリージャーナリスト)
日時:9月3日(金)20時~21時
場所:カフェcello(那覇市泉崎)

ライブ録画vol.1
ライブ録画vol.2

概要:
県民大会など米軍基地問題を報じる沖縄地元紙を県外の友人に送る活動をしているジャーナリストの屋冨祖仲啓さん。その背景には、本来国の重要課題である米軍基地問題をまともに報じないメジャーメディアと地元紙のギャップという問題がみえる。その活動を始めた動機、沖縄をめぐる現況をどうみているのかなど屋冨祖さんに伺う。

屋冨祖 仲啓さん:
フリージャーナリスト、沖縄タイムス元記者。「新沖縄文学」元編集長。本土の大学に進学中、米軍立川基地拡張を阻止する砂川闘争に参加。さらに夏休みで帰省中には伊佐浜強制接収の闘争に参加。

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屋冨祖 仲啓さん(中央)

屋冨祖さんの原点、それはやはり沖縄戦の体験だった。当時小学校3年生の屋冨祖さんは一般疎開者として家族で鹿児島まで船に乗った。船内では水不足から幼い乳飲み子が息絶えるという痛ましい事態が起こった。ところがその後屋冨祖さんはあることを目撃する。日本軍はその亡骸を海に放り捨てたのだ。海葬というと聞こえは良いが、屋冨祖さんはそれを思い出すたびに涙が出るという。沖縄戦体験は銃弾が飛び交う地上のみならず、疎開先での船の上でもあったのだ。

その後東京の大学へ進学した屋冨祖さんは、友人らと共に基地拡張を阻止する砂川闘争へ参加する。さらに夏休みで帰省中には、伊佐浜闘争へも参加。激動の政治の季節が青春時代であった。

そのときの友人とはその後も親交を続けていたが、彼らが沖縄へ向ける言葉に違和感があった。「沖縄はかわいそうだ」。「沖縄差別だ」。「かわいそうだ」ということで問題を特殊化し、贖罪意識を軽くし、それで終わりにしてしまう。そこには当事者意識が欠けていないか。

「沖縄問題」とはなにか?屋冨祖さんは問いかける。それは沖縄の問題ではなく、人間ひとりひとりの問題ではないかと。沖縄側も差別云々をいうまえに、伝える努力をするべきではないか?

県民大会の号外など地元紙を本土の友人たちに送る活動がそこから始まった。送られた友人たちはその新聞を周りへ配布してまわった。それを読んだ人が4月の県民大会に参加するために沖縄を訪れた。また、ある友人は本土の新聞社へ抗議の電話をかけてくれた。彼らの意識の変化が屋冨祖さんにはことの他うれしかった。

そんな屋冨祖さんに現在の沖縄をめぐる状況はどう映るのか?「基地問題を県内か県外か、V字型かI字型かなどの選択の問題にするメディアの責任は重い。それは過去の戦争責任とも同根の問題である。基地は撤去以外にない」ときっぱりいうのは、やはり沖縄戦の体験が原点としてあることからくるのだろう。「基地を認めることは加害者になることだ」という屋冨祖さんは、人間が容易に加害者に転じることをその眼でみてしまった人だ。

文責:西脇尚人




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