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聖域と観光は両立可能か? 斎場御嶽(セーファウタキ)有料化で議論

聖域と観光は両立可能か? 斎場御嶽(セーファウタキ)有料化で議論 2008/04/02

有料化されたとはいえ斎場御嶽(セーファウタキ)に入ると明らかに別世界に入ったのを覚える。聖域を廻り終えると、研修中の若い女性のボランティアガイドに出会った。地域文化の継承に手を挙げた彼女たちは、みな凛としていた。



目次
1ページ
・有料化後の聖域を訪れる
2ページ
「精神文化としての斎場御嶽をどう守る」フォーラムでの議論

 沖縄県南城市にある斎場御嶽(セーファウタキ)は、琉球王国最高の聖域の一つとして知られている。聖域というからには、誰でも自由気ままに入ってよいというわけにはいかないはず。しかし2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたことも手伝い、多くの観光情報メディアで取り上げられたことによって、沖縄有数の観光地としても認識されている。

07年7月、南城市は駐車場内に歴史体験施設を整備し、「入館料」として大人1人につき200円を徴収することを決めた。来場者の増加に伴い維持管理費がかさんだことなどがその理由という。これで実質的に斎場御嶽を訪れる人は全員料金を支払うことになった。有料化後も入場者は増え続けており、これまでに約14万人が訪れているという。

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「緑の館・セーファ」で入館料を払う観光客

 「入館料」徴収については、当初から意見が分かれていた。例えば、「祈りの場所でお金をとるのはおかしい」という否定的な意見がある。もともとは県内外から祈るために、あるいは沖縄で霊性の高い神人(カミンチュ)などが御願(ウガン)のために訪れる場所であり、その人たちからもお金をとることになるというのはいかがなものか、ということだ。

 また「入館料」を徴収するかどうかに関わらず、一般の観光客が聖地を訪れることによって生じる問題も発生している。女性の露出度の高い服装、複数で嬌声をあげるなど、およそ聖域にはふさわしくない振る舞いに眉を顰める地元住民もいるという。

■有料化後の聖域を訪れる
 私が最後に斎場御嶽を訪れたのは数年前、「入館料」徴収前の話だ。施設を整備した後の実際を確かめるため、3月30日に久しぶりに現地を訪れてみた。

 まずは駐車場がきれいに整備されているのが目についた。それで前回訪れた時にちょうど工事中だったことを思い出した。その時は静寂な周辺環境に似合わない工事現場の光景に「斎場御嶽にふさわしくないのではないか?」と疑問に思った。後で述べるフォーラムでの古謝南城市長の話によれば、御嶽側から見てなるべく目立たないように低く整地したということで、それなりの工夫が施されている。

 歴史体験施設「緑の館・セーファ」で大人料金200円を払うと「足もとが滑りやすくなっているのでご注意下さい」とアドバイスを受ける。受付には「順路以外にむやみに立ち入らない。聖地にあるものに、むやみに触らない。決して持ち帰らない。動植物を持ち込まない、持ち出さない。」などと書かれた注意書きが掲げられていた。

 館内には斎場御嶽に関連した琉球の歴史、斎場御嶽からの出土遺物などのパネル展示があり、モニターでは関連ビデオの上映もされている。御嶽に入る前に、ここが一般の観光地と違って、神聖な場所であることがある程度分かる仕組みになっているというわけだ。

 いよいよ御嶽に足を踏み入れる。濃密な緑の木々に覆われ石畳が舗装された坂を上る。とたんにひんやりとした空気が肌に感じられる。時々聴こえる蛙の鳴き声以外はしんと静まり返り、明らかに別世界に入ったのだと軽い緊張感を覚える。

御門口(ウジョウグチ)、大庫理(ウフグーイ)と聖地を巡る。前を行く家族連れがウナー(祈りの場所)でお祈りをしている。二つの鍾乳石によってできた三角形とその空間の突き当たり部分が、それぞれ拝所となっている三庫理(サングーイ)では、恐らくボランティアガイドであろう老人の説明を受ける数人の女性たちが、熱心に話に聞き入っていた。

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三庫理(サングーイ)に陽が差し込む

 途中で何度か複数の観光客の大声を耳にした。観光というのは基本的に非日常を楽しむのが目的だ。ふだんより気分が高揚している。自然と声が出る、大きな声を出すのは当然といえば当然だろう。「お金を払って楽しんでいる。何が悪い?」というかもしれない。その理屈が分かっているにも拘らず、私にはその大声が場違いで耳障りに感じた。私にそう思わせるのは、なによりもその場所の静寂さ・厳粛さだったろう。

■「精神文化としての斎場御嶽をどう守る」フォーラムでの議論
 斎場御嶽を訪れたのと同じ日、南城市、南城市教育委員会、沖縄大学地域研究所の共催による「精神文化としての斎場御嶽をどう守るのか -その位置付けと方向性を求めて-」と題するフォーラムが開催された。会場の南城市知念社会福祉センターは約170人の参加で満員となり、この問題への市民の関心の高さが窺われた。

この中で歴史・民俗学の立場から見た斎場御嶽について、赤嶺政信琉球大学法文学部教授が解説した。御嶽とはそもそも何か? 赤嶺教授は御嶽が本土の神社と違う点として、建物がないこと、御神体がないこと、個性を持った神格がないことを挙げた。

 実際、御嶽を訪ねて「何もないではないか?」と拍子抜けする観光客がいる。だがこの「何もない」ところに、芸術家としての感性から積極的な価値を見出したのが故岡本太郎であることは有名な話だ。

 また、古謝景春南城市長は歴史文化遺産の活用と保全の重要性について語り、南城市の取り組みを「沖縄県における新たな観光のあり方」と位置づけた。その具体化が沖縄の精神文化を発信する場としての斎場御嶽であり、さらに一歩進めて市全体を「統合医療」のメッカにして、長期滞在型の観光を目指すという。

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観光振興と文化遺産の保全・活用について語る古謝南城市長

 「自然に対して祈ることが自然治癒力を高めるといわれている」のだそうだ。そのためには大勢の人ではなく、文化的価値の分かる人に来てもらう。「地域がお客さんを選ぶ」ような観光のあり方が求められると、古謝市長は強調した。

 第二部の討論でも活発な議論が展開された。進行役の宮城能彦沖縄大学教授が「精神文化としての斎場御嶽を守るために制限が必要だといっているが、具体的にどうするのか?」と質問したのに対し、比嘉政夫沖縄大学教授は、地域の方々の共通の認識で作っていくことが重要である、と答えた。

 さらに宮城教授は、「制限は観光客だけでなく、神人(カミンチュ)や門中(ムンチュウ)で廻る人たちに対しても当てはめることになる。これは観光客以上に難しいことだが、どうすればよいか?」と問題を指摘した。これに対し、古謝市長は「神人には半額の減免をしているが、受益があるのだから対価を払っていただく」と答えた。

 「価値を分かる人を育てる必要があると思うが?」との宮城教授の質問に南城市教委文化課の大城秀子さんは「まずは平成20年度のガイドの人数を増やすこと。観光客からの様々な質問、ニーズに応えられるために、ガイドの皆さんは博識です」と答えた。

 御嶽を一通り廻り終え、出口まで来ると、三庫理で見かけた年配のガイドが数人の若い女性に取り囲まれていた。彼女たちはみな真剣な表情でメモをとっている。どうやらボランティアガイドの研修のようだ。地域文化の継承に手を挙げた彼女たちの姿勢は、みな凛としていた。

◇ ◇ ◇

関連サイト:
琉球のスピリチュアルを求めて 南城市

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