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映像作家らが「記録映像」もとに沖縄の植民地状況を語る~コロニアル沖縄 研究フォーラム+上映会開催

映像作家らが「記録映像」もとに沖縄の植民地状況を語る~コロニアル沖縄 研究フォーラム+上映会開催 2008/03/28

記録映像からみた植民地思想の系譜を辿ることで、沖縄の植民地的状況を浮き彫りにする「コロニアル沖縄 研究フォーラム+上映会」が23日那覇市の県立博物館・美術館講堂で開催された。会場には映像作家、研究者などの会員ほか参加者が大勢、集まった。



目次
1.記録映像から植民地思想の系譜を辿る~6名のパネリスト
2.「撮る者、撮られる者」つまり本土と沖縄の関係をめぐる議論

 記録映像からみた植民地思想の系譜を辿ることで、沖縄の植民地的状況を顕在化する「コロニアル沖縄 研究フォーラム+上映会」が23日那覇市の県立博物館・美術館講堂で開催された。これは日本映像民俗学の会第30回大会の一プログラムとして企画されたもの。会場には本土からの映像作家、研究者などの会員を中心として、雨にもかかわらず参加者が集まった。

 前半の上映は、間宮則夫監督作『それは島~集団自決の一つの考察~』(1971年)、北村皆雄監督作『アカマタの歌~海南小記序説~』(1973年)、そして比嘉豊光記録による『島クトゥバで語る戦世』(2003年)の3作。

 後半は『海の民 沖縄物語』(昭和17年)、『海の生命線』(昭和8年)という、それぞれ太平洋戦争中に製作されたプロパガンダ映画が上映された。いずれもこのような特集企画でなければ観る機会の少ない貴重な映像である。

 その後6名のパネリストによるディスカッションが行われた。まずはそれぞれ挨拶代わりのコメントを紹介する。

photo228.jpg
ディスカッションの様子

比嘉豊光さん(写真家)
 何故沖縄でこの会をやるのかも含めて1時間ほど時間が延ばせるのなら、県民大会に参加しようということになった。(沖縄を)撮るだけではなく撮られる(ということと関わるが)、県民大会に参加するのは当たり前だよなという、沖縄で表現するという行為と、沖縄で撮られるということも常にいっしょではないかと思って活動を続けています。

仲里効さん(表象研究)
 ぼくが沖縄を考えたり表現したりする時に一番根っこにあるのは、近代の始まりで日本という国家が一つのエリアを統合、併合する上で、そこにどのような葛藤が起こるのかということ。その際に植民地という視点は避けられないだろう。比嘉豊光さんは『島クトゥバで語る戦世』という作業を続けている。沖縄の言語が国語(標準語)に統一されていく際に、植民地的な力が働いてきたのは事実だし、それは言語だけに限らない。

崔吉城さん(植民地研究) 
 コロニアルというのは、基本的に植“民”、移住の形をとる。例えば北海道から樺太へと人口の移動がある時に様々な葛藤が起こったというように。その意味で沖縄の場合コロニアルというよりむしろ「占領」に近いのでは。

後多田敦さん(元沖縄タイムス記者)
 元々沖縄タイムスの記者をしていたが県立博物館・美術館の関連会社「沖縄文化の杜」に出向しています。ここ新都心は太平洋戦争中激しい戦闘が繰り広げられ、その後米軍に接収され、その後返還され新しい街が出来、移住者も多い。その場所でこのような議論ができることはとても意義のあること。まさにこの新都心全体が現在の沖縄の「植民地的」状況に突入しているといえる。

間宮則夫さん(映像作家) 
 『それは島~集団自決の一つの考察~』は当時の那覇シネクラブの若者たちとの出会いから生まれました。ヤマトーンチュとウチナーンチュが同じ地平に立って物が考えられるような、支配 / 被支配、差別 / 被差別というような視点ではなく、じっくりとした、ひとりひとりの心に染み入るような形で映画が造れないかというようなことを話し合った結果、そのうちに「集団自決」の問題にぶつかりました。

北村皆雄さん(映像作家)
 1964年私が24歳の時に、久高島のイザイホーの撮影に訪れたのが沖縄との最初の出会い。当時の作品に、これは沖縄であるとも久高島であるとも表示していないのは、当時吉本隆明という詩人が「島は国である 国は島である」といったように、ぼくにとっても久高島は国であり、また島は自分のこころ、内面であるという考え方からきています。(イザイホーの)日常からあの世へ1回行って生まれ変わって戻ってくるという構造は、あらゆる宗教儀礼、民間儀礼が持っているものだと捉えた時に、それは久高島ではなく自分のこころでも良いのではないかと、ちょっと傲慢な思いがありました。

 1972年に今日観ていただいた『アカマタの歌~海南小記序説~』を撮影しましたが、これは(久高島のケースとは)まったく反対に、ぼくは沖縄にとって他者であるという思いがあって、カメラを持った闖入者として西表島の古見というところに入っていきました。

■「撮る者、撮られる者」つまり本土と沖縄の関係をめぐる議論

 ここからの「撮る者、撮られる者」つまり本土と沖縄の関係をめぐる議論が興味深い。

北村皆雄さん
 撮る者、撮られる者という議論があるが、その観点を超えるものがないと議論が発展しないのではないか?4、5年前に羽黒山の修験道の儀礼に参加したが、そのお経の中に『入我我入』という言葉がある。仏が我に入り、我は仏に生きるという意味だが、つまりぼくは他者であっても沖縄の中に入るし、沖縄もまた僕の中に入ってくるというかたちでものづくりをしていきたいなと。

須藤義人さん(進行)
 撮る者=支配・搾取する側、撮られる者=支配・搾取される側という二項対立が基本的なパラダイムとしてあるが、一種の閉塞感があるのも否めない。これを越えるにはどうすればよいか?

仲里効さん
 『アカマタの歌~海南小記序説~』に衝撃を覚えた。よそ者を受けつけない秘祭を、古見という集落が抱えている一筋縄ではいかない重層的な問題を写しこんでいる。ただ、一つだけ違和感を覚えたのはナレーションの問題。ナレーションというのは映像の時間に意味を埋めていく作業。その際に(同作品に)埋め込まれている言葉の響きの質、言葉の身体性といってよいのか分からないが、映像とナレーションの乖離を強く感じた。

 撮る者=支配・搾取する側、撮られる者=支配・搾取される側という二項対立は、植民地的な場所においては避けられないテーマです。北村さんは二項対立を越えるような視点で造っているということだが、造られた映像において撮られる側が感じる身体的な違和は無視できないだろう。二項対立は避けることなく向き合うべきです。

 その意味でヴァルター・ベンヤミン最晩年の『歴史哲学テーゼ』にある「ニ文法の無限シリーズ化」は参考になるテーゼ。ニ文法が存在する現実の基盤、構造を避けることなく無限にシリーズ化していくことによってそれを越えていくという。

比嘉豊光さん
 今からウチナーンチュが沖縄をどう撮るのかということも含めて考えないといけない。撮るという発想だけだと権力的、暴力的な撮り方が出てくるが、撮られるというかたちの撮り方をすれば「それはマズイよね」ということも出てくる。ぼくは撮られる側にもなるし撮る側にもなる、だから沖縄で撮っているのだよ、ということでやっている。

北村皆雄さん
 『アカマタの歌~海南小記序説~』は撮る側というかたちだけではなくて、なぜあれを撮ったかというと、シマ自体を引きずっている那覇なり石垣なりに出た人に対して、18歳で故郷長野から東京へ出てきた僕自身を見る思いがしたから。だからこそ僕は他者であるけれども共感するから映画を造った。

 「風景」というものが近代的な知覚の転倒によって発見されることを説いたのは批評家・柄谷行人である。それは「孤独で内面的な状態と緊密に結びつき、どうでもよいような他人に対して『我もなければ他もない』ような一体性を感じる」ような「内的人間」によって発見される(注1)。

 北村さんのものづくりの手法はまさにこの「風景の発見」ではないか。そしてそれは北村さんが個性的な作家だという意味ではなく、われわれのものの見方の多くがその転倒的なものの見方によっているというべきだ。ただその起源が隠蔽されているため、われわれにはそれが倒錯であると捉えることができない。

 北村さんは久高島での「失敗」から、『アカマタの歌~』では自らの他者性を意識して撮影したといっている。しかし同時にシマから出た人たちに自己=内面を投影している。それをして「僕は他者であるけれども共感するから映画を造った」という。

 その「共感」こそ「風景の発見」である。そしてそれは徹底的にモノローグであり、他者を欠いている。「ナレーションは多くの島人たちの言葉を紡いだ」と北村さんはいうが、ポリフォニック(多声的)には聴こえない。

 その「言葉の響きの質、言葉の身体性」に違和感を感じることができるのが、沖縄という他者である、と逆にいうこともできる。その他者性という前提があるからこそ、「二項対立は避けることなく向き合うべき」ではないのか。しかしそれが視えない、あるいは視ない振りをしている日本人は無前提に「共感」が成り立つようなことをいう。

■比嘉豊光さん撮影 『ナナムイ』が急遽上映される

 この催しは2月に起きた少女暴行事件に対しての「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」と重なった。沖縄のパネリスト数名がこれに参加することになったため、映像の上映とディスカッションの間に予定外の時間が空いてしまう。その「つなぎ」として、比嘉豊光さんが撮影した『ナナムイ』(注2)が急遽上映された。

 宮古島に伝わる男子禁制の祭祀行事、そこで「円陣を組む女たち」はなんとも艶やかな宴を愉しんでいた。「豊穣」「祝祭的」「伝統」などの言辞が陳腐にしか聴こえない、それは晒していて隠す、哄笑的であり同時に厳粛であり、なによりあまりにもエロティックな生=性の発散だ。それを可能にしているのが「撮られる側にもなるし撮る側にもなる」記録者との羨ましすぎる共犯であるのは間違いない。

 この間、客席は県民大会に向かった参加者がいない分、まばらとなった。映像にまったく興味を示さず、大声で喋り続ける本土からの大会参加者(映像作家か研究者か)がいた。また、この前の休憩時間には、県民大会への参加者がいるためスケジュールが変更したことを噂する、これも本土からの参加者であろう人たちのつぶやきが聴こえた。その口ぶりからは「何故そのような理由で自分は待たされなければならないのか?」といっているように聴こえた。

 私はこの時間と空間こそ「コロニアル沖縄」であると感じた。そして迷った末県民大会に向かわず会場に留まって正解だと思った。つまりこのことこそもう一つの「県民大会」であり、伝えるべき「事件」であるのだと。そして「女たち」を視ているようで実は視られているのは、私を含めたヤマトーンチュであることを。県民大会参加者の「不在」という行為が逆照射するこの放置状態こそ、到来する沖縄からの宣言であると。

◇ ◇ ◇

(注1)
柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社(1980年)
(注2)
『ナナムイ』

関連サイト
日本映像民俗学の会

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