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沖縄人のルーツを探る

沖縄人のルーツを探る 2007/12/22

「沖縄人のルーツを探る」では、安里進さんが「意識や文化としての沖縄人」について、一般向けに分かりやすく解説。土肥直美さんは「骨から見える沖縄人の歴史」を、写真など豊富な資料を基に紹介した。



独自の歴史と文化を持つ琉球・沖縄を見つめ直すイベント「沖縄人のルーツを探る」が、15日(土)沖縄県立博物館・開館記念展「人類の旅―港川人の来た道」展関連イベントとして、那覇市内の同館で行われた。中国、アメリカ、日本との「世代わり」を経験し、大国の思惑の中で翻弄され続け、近年では急速な「日本化」も進む中、自らのアイデンティティを確認しようと、会場を埋めた参加者は2人の講師の話に熱心に耳を傾けた。

 安里進さん(県立芸術大学教授)は浦添ようどれ遺跡等のグスク時代研究が専門。今回は「意識や文化としての沖縄人」について、一般向けに分かりやすく解説した。土肥直美さん(琉球大学医学部准教授)は、人間の骨格を対象とする形質人類学が専門。「骨から見える沖縄人の歴史」を、写真など豊富な資料を基に紹介した。

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安里進さん(県立芸術大学教授)

 この中で安里さんは、「琉球・沖縄が本土と歴史的に深く繋がった時期が3回ある。1つ目が貝塚時代前期と縄文時代、2つ目がグスク時代と平安時代、3つ目が現代」と語る。一方、1万8000年前とされる港川人については、考古学上不明な点が多く、学者の中には旧石器人だとすることに疑問を持つ人もいるという。「旧石器人かどうかは道具=文化によって判断するが、道具がないので判断できない」と安里さん。

 では港川人は現代の沖縄人と繋がっているのだろうか? 琉球の歴史がはっきりしている6400年前、つまり沖縄で最初の土器とされる爪形文土器(渡具知東原遺跡)の年代から遡ると1万年以上の断絶があり、その間に港川人が絶滅したとするなら、港川人は沖縄人ではないことになる。いずれにしても断定はできず謎に包まれたままだ。

 その渡具知東原遺跡の爪形文土器の年代については異論もある。形、焼き、文様などが非常に似ている爪形文土器(1万1000年前)が、長野県諏訪湖底・曽根で発掘されたからだ。渡具知東原遺跡の6400年前という年代は違うのではないか?と意見が分かれたが、調査の蓄積によって現在では6400年前ということで落ち着いている。「では沖縄の最初の土器文化を担った人たちはどこから来たか?それは分からない。何故なら6400年前に本土では同じような土器を作る人はいないから」と安里さんは指摘する。

 その後約4000年前に、九州曽畑式土器文化を持った人たちが琉球・奄美に来て住み始めた。安里さんはその貝塚時代に出土された、縄文時代の雰囲気を残した遺物などの写真を紹介しながら、縄文文化の影響について触れた。また、蝶形骨製品の遺物写真を紹介しながら、本土に無い沖縄独自の精神文化があると指摘。一方、縄文時代の文化として見られる土偶、スクレイパー、鏃などは沖縄では少ないと付け加えた。

 これらのことから沖縄の貝塚文化は、縄文文化と比べて「共通性もあるが独自性もある。だから縄文文化と一括りにしてしまうと飛躍し過ぎで、二者択一を迫る必要もない。それは現代の私たちに『お前は日本人か、沖縄人か?』と迫るのと同じで、一つに考えることはない」と沖縄人のアイデンティティに結び付けて語った。

日本人の形成に関しては埴原和郎氏の「日本列島人の二重構造モデル」論がある。最初に東南アジア系の人が南から入り、次に大陸、主に朝鮮半島から北アジア系(渡来人)の人が九州から入り北上した。この二つの系統の人々が混血し中間型が生まれた。それらの影響を受けなかったのが、北海道(アイヌ)と沖縄であるという主張だ。

 土肥さんは、沖縄へ研究しに来るにあたり、彫りの深い人骨を観ることができると期待してきたが、調べてみると縄文人的な骨はほとんど無かったという。そしてもう1点、渡来系弥生人とも縄文人とも違う種子島弥生人の形質も気になった。この2点を気にしながら沖縄で調査を続けてきた。

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土肥直美さん(琉球大学医学部准教授)

 その結果、頭蓋計測値と顔面平坦度計測値を足したデータには意外な結果が出た。奄美・沖縄とアイヌは似ているという先入観にそれは反していた。沖縄の顔面平坦度は本土のそれより平坦であり、お互いに特徴があるということが分かった。このことから「日本列島人の二重構造モデルとは別の考え方があるのではないか?」と土肥さんは問題提起をした。

 次に土肥さんは貝塚時代人と近・現代人を比べ、沖縄人形質の時代差を紹介した。左右にそれぞれの写真を並べられるのをみると、確かに貝塚時代人のほうが面長に見える。この違いは「本土の縄文人と弥生人の大論争がかつてあったがそれに匹敵する」と、その重要性を指摘する。

 「カギは(その間の)グスク時代にある」と思った土肥さんと、安里さんも同意見だった。10年前まではほとんど情報がなかったグスク時代の人骨だが、ここ10年の調査で成果が現れた。その代表が安里さんの専門である浦添ようどれの遺跡だった。

 「グスク時代人は新しい遺伝子を持った人たちが関係している」と想像していた土肥さんにとって、浦添ようどれの人骨たちは「これ以上ないというほど自己主張してくれた」。その特徴は、上あごが前に突き出している、つまり「出っ歯」だという点。これと同じ特徴を持つ人骨が存在する。鎌倉材木座中世人だ。

 土肥さんのまとめとしては、「沖縄現代人の特徴はアイヌとかなり違っている。沖縄人の特徴には時代差がある。グスク時代人は日本本土の中世人と似た特徴を持っている。グスク時代人の特徴は沖縄現代人の特徴とも共通している」というもの。

 同時に新たな課題が生まれた。グスク時代人はどうやって発生したのか? 貝塚時代人を滅ぼしてしまったのか? その疑問のヒントになるかもしれないのが、現在資料整理中の具志川グスク崖下地区の人骨調査だ。弥生時代からグスク時代にかけての埋葬遺跡には、貝の装飾品が人骨といっしょにたくさん出土しているという。「グスク時代へと移る段階の新たな貝塚時代人の情報が得られるのでは」と土肥さんは期待を持たせて語ってくれた。

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