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北沢防衛相来沖で市民怒りの歓待

7日北沢防衛大臣は仲井真沖縄県知事との会談にのぞみ沖縄県庁を訪れた。膠着したままの普天間飛行場問題で辺野古V字案のごり押しをしようとする北沢氏に対し、県内移設を受け入れないことで一致している市民の多くが沖縄県庁前に集まり、怒りの意思を現した。

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国家の犯罪に抗う民衆の記憶

国家の犯罪に抗う民衆の記憶

現代世界の国家の犯罪、それに抗う民衆の記憶をめぐって議論しあう《方法としてのアジア/方法としての沖縄 ワークショップ「国家の犯罪、民衆の記憶」》が16日、沖縄大学で開催された。フランスの社会運動、脱原発運動、文化実践にかかわる政治哲学者アラン・ブロッサとアーティストのコリン・コバヤシとい沖縄初訪問の2人を迎えて、東日本大震災、沖縄の現状とも繋げての議論に、会場は静かな熱気に包まれた。

アラン・ブロッサ
アラン・ブロッサ

アラン・ブロッサは民衆の記憶を国家に対峙させることの重要性を、ヨーロッパの歴史を振り返りながら語った。ヨーロッパでは1968年を境に、忘れられた民衆、少数派の記憶について広く考察する立場と、それを国家が都合のいいように回収する動きがあった。前者では、民衆の記憶を国家に抵抗させていくことを説いたミシェル・フーコー、学校で地方の言葉を教えたり、パリ・コミューンについて教えたりするなどの取り組みがあった。

80年代にフランスの歴史学者ピエール・ノラは『記憶の場』シリーズを編纂し、民衆の記憶を単純化し、ノスタルジーに過ぎないものとした。これ以降、支配層はノラの主張を利用し、民衆の記憶の争点回避を図った。その結果、1989年のフランス革命200周年はファッション化してしまった。また、シラク大統領はユダヤ人に対するフランス人の罪を認める形で、逆にそれを相対化した。

コリン・コバヤシ
コリン・コバヤシ

コリン・コバヤシは東日本大震災、とりわけ原発災害の内部被爆を国家の暴力装置という観点から論じた。広島・長崎と福島は被爆問題で繋がっている。なぜなら福島の放射能汚染の基準値は、内部被爆の情報が消去された広島・長崎からきているからであり、このことを深く考える必要がある。「ただちに影響は無い」という見解を含め、日本政府の対応は国家の犯罪といわざるえない。

さらにコバヤシは、「アーティストがなぜ社会に口をつっこむのかといわれることもあるが、(危機的状況において)専門領域から少し出なければならない」と述べ、長年社会運動を実践してきた者として、重みのある発言をした。

後半の意見交換では、フロアから「パレスチナのインティファーダを沖縄でもやるべきではないか?」という悲痛な意見が挙がった。これに対しブロッサは、「パレスチナは地獄です。沖縄の現状を軽くみるつもりはまったくないが、パレスチナと沖縄はいっしょにできません」と述べ、コバヤシは、「パレスチナの人々は武力で抵抗することの無力さを理解している。パレスチナのおかれた状況を怒るべき、そしてそれを支援すべきは外部のわれわれである」と応答した。

最後にブロッサは、「『ジェノサイド』を定義する新しい言葉を民衆が創る必要がある。東日本大地震への日本政府の対応は、後々『ジェノサイド』と呼ばれるかもしれない」と警鐘を鳴らした。

(西脇尚人)

沖縄戦後思想史から東アジアへ

沖縄戦後思想史から東アジアへ

シンポジウム《恋人のように!!「東アジア」へ 〈併合40-1〉琉球群島から、今、呼びかける》 が9日、沖縄県立博物館・美術館講堂で開催された。自立と共生の思想、琉球弧の自己決定権などをめぐって、活発な議論が展開された。詩人・思想家である川満信一の著作『沖縄発 ――復帰運動から40年』の発行を記念して、改めて沖縄の現状を幅広い視点から議論しようという試み。

川満信一は「異場の思想と東アジア越境憲法」と題した基調講演で、沖縄戦後史と自らの歴史体験を重ねつつ、その豊穣な思想を語った。まずは、なぜ「反復帰論」だったのか?1960年の安保改定とともに、アメリカの沖縄政策が変更し、沖縄の施政権返還に向けて、手の込んだ謀略が仕掛けられたのではないかと川満は疑う。それは当時のキャラウェイ高等弁務官が復帰尚早を唱え、同時に「沖縄で自治なんて神話だ」と発言し、沖縄の有識者を挑発したことの意味を捉え返すことから生まれる疑問だ。

川満
川満信一

この間沖縄の政党、労組は東京の中央組織に縦系列化され、統率力を失い分裂していった。川満は復帰運動がいう「祖国」という言葉に疑問を持つ。国家とは何か?という課題に向わない限り、運動は足もとをすくわれる。その反省から、国政参加拒否運動、反復帰を唱えた。

人は日常と非日常を行き来する生を送っているが、夢見ることも日常であり、同時に非日常であると川満はいう。非日常、非現実主義の「異場の思想」は、現実にはありもしないものを創り出そうとし、世界を考え直すことが大切であると。

パネリスト
パネルディスカッション

後半のパネルディスカッションでは、コーディネイターの仲里効が「世代を横断し、かつ今の時代から川満信一の思想を読むことがどのような意味をもつのか」とシンポジウム開催の動機を語った。さらに、ここ数年琉球新報の社説を始めとして「琉球弧の自己決定権」という言葉がみられることが顕著になった点に触れ、「明らかに復帰運動のときとは異質なものを感じる」とし、沖縄が転換期を迎えていることを示唆した。

板垣雄三(東京大学名誉教授)は、一つにすること、一と数えることなどを意味するイスラムの原理「タウヒード」について解説し、その前提に多様化があるとし、そこから多即一のネットワークとパートナーシップという組織原理が生まれたと述べた。さらに中東情勢の根本にはパレスチナのインティファーダがあり、かつての階級や民族から立ち上がった革命とは違い、雑多な市民が主体となって動く新しい革命であると指摘し、「それは自分たちの政府への抗議として始まるが、世界を変える市民革命へと変化していく、その原理がネットワークとパートナーシップである」と中東の同時革命の背景を概説した。

平良識子(琉球弧の先住民族会・那覇市議)は、1995年の米兵による少女への事件が、復帰後世代として沖縄のアイデンティティを考えるきっかけとなったことから、AIPR(琉球弧の先住民族会)に関わるようになった経緯を語った。さらに那覇市議としてとり組む再開発問題では本土の大手企業が事業主を占めている点を指摘し、それを沖縄側から求めていることも併せて違和感があると述べた。

崔真碩(広島大学教員)は、「北朝鮮とどう向き合うか」という問題提起をした。崔によれば、朝鮮戦争はいまだ終わっていない。それを終われせることと嘉手納基地からB29が飛んだ沖縄は切り離せない。そのうえで「北朝鮮は恐いから米軍は必要だ」という仕掛けられたカラクリを疑う必要があると述べた。

山城博治(沖縄平和運動センター)は、高校時代から反基地闘争に関わり、3年のとき学校をバリケード封鎖し退学となった当時、「反復帰論」を読み「これしかないのではないか」と思ったと述懐し、「反復帰論」が自らの運動に影響を与えたことを語った。



質疑応答では、かつて復帰運動に携わったというフロアの参加者から、「川満は当時復帰運動をあざ笑っていたのでは?」と批判の声が挙がった。川満はこれに対し、当時の復帰運動が求めた「祖国」の実態を批判することが真意としてあった点を説明したうえで、「体制を変える方法と思想を変える方法は違う」ときっぱりと言い切った。

これを私なりに解釈すれば、運動(実践)と理念の関係にあると捉えた。運動は現実に深く関わり、妥協を含む漸進的なものとならざるをえない。これに対し理念は常に高く遠く存在する目標としてある。現実にそれを実現することは大きな困難を伴う。しかしそれは夢として斬り捨てられるのではなく、絶えず掲げておく必要がある。それは現実の運動を理念に近づけるために欠かせないから。その意味で、川満の思想は当時も今も真のクリティーク(批判)であり続ける。

(西脇尚人)

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森口豁さん初の写真集を語る

森口@ジュンク堂
森口豁さん

1950年代より現在までヤマトーンチュとして「沖縄問題」を伝え続けてきたジャーナリスト森口豁さんの初の写真集発売を記念して、講演会&サイン会〈ジャーナリスト・写真家 森口豁 ~「アメリカ世」の沖縄、米軍統治下の不条理を生きるひとたちの叫び~〉が26日、那覇市のジュンク堂書店で行われた。

写真集は未來社刊「沖縄写真家シリーズ 琉球烈像」の第7巻にあたる。『森口豁写真集 さよならアメリカ』と題されたその内容は、27年間の米軍政下におかれた沖縄の貴重な写真の数々、離島の生活などが収められている。森口さんはその中からいくつかの作品をパネル展示して紹介した。

1960年代に撮影された伊是名島の砂浜での子どもたちの集合写真は、屈託の無い子どもたちの笑顔が印象的だ。いっしょに遊んだ後撮影したという。森口さんはその後2001年に島を再訪し、子どもたちのその後を追った。10人中8人と再会でき、島で土建業を営む人、本島でタクシー運転手をする人、名古屋でトラック運転手をする人など様々だったという。

ハンセン病に罹ったため集落から離れた場所に隔離された伊是名島の老婆のその後を伝える森口さんの語り口は淡々としているがゆえに、会場に集まった人たちに多くのことを伝えたことだろう。一度出会った人物に再びスポットをあてるという手法は、演出を担当した日本テレビのドキュメンタリーなどでも試みられる。決して一過性では終わらせない被写体との距離感は、森口さんの沖縄との関わり方の倫理性をうかがわせる。

森口さんは来年が本土復帰40周年にあたることについて触れ、「どうせまたマスコミが(一過性で)騒ぐだろうが、本来沖縄県民が望む形で復帰がなされていれば、『復帰何年』などと騒ぐことはないはず。もはや40年経ち、本土復帰を知らない世代が多いことを考えれば、今こそ復帰前を知ることが重要だ。これらの写真は、年表に現れない、行間に隠れたものを捉えている。ぜひ復帰前を知るために活用してほしい」と写真集発売の意義を語った。

また、フロアとの質疑応答では、「東日本大地震で米軍は『トモダチ作戦』などといっているが、本当に友だちなら普天間飛行場を被災者に開放すべきだ」と、震災報道で見失われがちな基地問題にもむすびつけてコメントした。

(西脇尚人)

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『森口豁写真集 さよならアメリカ』
森口豁の沖縄日記

佐藤優「沖縄を巡る情勢論と存在論」

5日沖縄大学で開催されたシンポジウム〈琉球と東アジア文化圏をつなぐもの -「自治」と民際学〉における作家・佐藤優氏の問題提起の要旨。メモ書きをまとめたもので、十分理解できたといえない点も部分的にあるが、そのまま記すことにする。文責は西脇にある。

1情勢論とはなにか
2存在論とはなにか
3究極的なものと究極以前のもの
4シンボルをめぐる闘争の重要性
5集合的無意識と差別
6話者の政治性

抑止力であるとか中国の脅威であるとか、中東情勢が沖縄にどういう影響を与えるかとかいった情勢論のレベルだけで話をしていたら、沖縄は絶対負けます。情勢論に関する経験、知識は圧倒的に東京の中央政府によって握られているからです。それには2つのやり方があります。東京にとって都合の悪い点を除き「沖縄の声を聞きました」というやり方。沖縄の声が情勢論レベルのときは、「なんてレベルが低いのだ。こんなレベルの低い連中が安全保障について語れるか」といって笑いものにするやり方。

これに対し、存在論とは、物事が存在しているということはどういうことなのかという哲学的な議論であるが、現実に還元すると、松島先生がいった「沖縄人は果たして日本人なのか?」ということにつながります。ロシア帝国主義以前の亜民族は、あるときは周辺の強い民族に吸収されます。しかし一見吸収されたかにみえて吸収しつくされない何かがある。この何かがある亜民族はなにかの機会に民族になってしまう。ロシアのコサック民族が典型的な例です。

そこで重要なのは「我ら死んだ後はどうなるのか?」ということです。大城先生が書かれた沖縄戦に関する小説にはトートーメーを心配している人たちのことが山ほど出てきます。「墓の中に入ってよいものか?」。これは人間の死の問題です。

究極的なものと究極以前のものの話をします。存在論が重要であり情勢論はどうでもよいのだというのは大きな間違えです。われわれは究極以前のもの=情勢論を通じてしか存在論に至ることはできないのです。となると情勢倫理?ということがでてきます。山中貞則、野中広務、鈴木宗男、前原誠司を私は評価しています。

今日一番矛盾を感じていたのは、片山総務省の警備をしていた沖縄県警の人、あるいは今ここにいるであろう沖縄県警公安の人です。沖縄でテロが起きると思いますか?本当にテロが起こることを想定した警備体制でした。彼らは矛盾を感じながら警備をしていたはずです。

シンボルをめぐる闘争の重要性。全国の0.6%の面積の沖縄に74%の米軍基地があるにもかかわらず辺野古を移設先とするのは不平等であり差別です。原口前総務大臣は右翼の「月刊日本」という雑誌に、沖縄の人々がこれを差別だと受け留めているということをみないと普天間問題は解決しないといっています。

他の都道府県はどうして海兵隊を受け入れようとしないのか?民意が反対しているからです。でも沖縄県の民意も反対しています。日本は民主主義国家だけれども沖縄はその外側だということです。片山さんは琉球政府の立法府の話をしていたが、当時の沖縄には日本国憲法が適用されていなかったんですよ。そのような情況を抜きにしたところで技術的な立法論を学んだとしてもクソ喰らえといった話です。

普天間・辺野古の問題はシンボルをめぐる問題です。それは非法理な問題です。非法理な問題に対して金や法律で説得しようとしても「あんたが説得したいことはわかった。でもわれわれはそれに従わない」ということです。

今、琉球新報・沖縄タイムスは異常なほど英語のホームページが充実しています。東京に訴えても意味が無いということを潜在的且つ集合的無意識のうちに行っているのでしょう。東京の連中はそれをみるとワシントンに訴えていると思っているがそれだけではない。ニューヨークとジュネーブの国連人権機関に訴えているのです。国際的にどう訴えると効果があるかをあまり意識しないうちにやっているのではないか。

沖縄対本土という対立構造は事実と違うと同時に負けるのでやらないほうがいいと思います。資本家対労働者というマルクス主義は、沖縄差別について理論的にうまく扱えないところがあります。抑圧されているプロレタリアートは本土であっても沖縄であっても抑圧されている。そのなかで差別の問題を扱うということは闘いの本質を見失わせるのです。
伊波陣営が勝てなかった一つの理由は、差別という切り口をうまく使うことができたのが保守陣営だったからだと私はみています。

それでは本土の沖縄差別はないのかといえばあります。沖縄総体対東京の政治エリート(政治家と官僚)という構造です。日本の圧倒的多数は善でも悪でもない。情報は東京の政治エリートに流れていきます。この情況をまず壊さなければならない。沖縄人はどんな情況でもあきらめないのです。

最後に話者の政治性。同じことをいう場合でも、その人が本当に沖縄のことを思っていっているのか口先だけなのかを捉える力が沖縄人にはある。それは今まで騙されてきた歴史が長いからです。

(文責:西脇尚人)



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