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1情勢論とはなにか
2存在論とはなにか
3究極的なものと究極以前のもの
4シンボルをめぐる闘争の重要性
5集合的無意識と差別
6話者の政治性
抑止力であるとか中国の脅威であるとか、中東情勢が沖縄にどういう影響を与えるかとかいった情勢論のレベルだけで話をしていたら、沖縄は絶対負けます。情勢論に関する経験、知識は圧倒的に東京の中央政府によって握られているからです。それには2つのやり方があります。東京にとって都合の悪い点を除き「沖縄の声を聞きました」というやり方。沖縄の声が情勢論レベルのときは、「なんてレベルが低いのだ。こんなレベルの低い連中が安全保障について語れるか」といって笑いものにするやり方。
これに対し、存在論とは、物事が存在しているということはどういうことなのかという哲学的な議論であるが、現実に還元すると、松島先生がいった「沖縄人は果たして日本人なのか?」ということにつながります。ロシア帝国主義以前の亜民族は、あるときは周辺の強い民族に吸収されます。しかし一見吸収されたかにみえて吸収しつくされない何かがある。この何かがある亜民族はなにかの機会に民族になってしまう。ロシアのコサック民族が典型的な例です。
そこで重要なのは「我ら死んだ後はどうなるのか?」ということです。大城先生が書かれた沖縄戦に関する小説にはトートーメーを心配している人たちのことが山ほど出てきます。「墓の中に入ってよいものか?」。これは人間の死の問題です。
究極的なものと究極以前のものの話をします。存在論が重要であり情勢論はどうでもよいのだというのは大きな間違えです。われわれは究極以前のもの=情勢論を通じてしか存在論に至ることはできないのです。となると情勢倫理?ということがでてきます。山中貞則、野中広務、鈴木宗男、前原誠司を私は評価しています。
今日一番矛盾を感じていたのは、片山総務省の警備をしていた沖縄県警の人、あるいは今ここにいるであろう沖縄県警公安の人です。沖縄でテロが起きると思いますか?本当にテロが起こることを想定した警備体制でした。彼らは矛盾を感じながら警備をしていたはずです。
シンボルをめぐる闘争の重要性。全国の0.6%の面積の沖縄に74%の米軍基地があるにもかかわらず辺野古を移設先とするのは不平等であり差別です。原口前総務大臣は右翼の「月刊日本」という雑誌に、沖縄の人々がこれを差別だと受け留めているということをみないと普天間問題は解決しないといっています。
他の都道府県はどうして海兵隊を受け入れようとしないのか?民意が反対しているからです。でも沖縄県の民意も反対しています。日本は民主主義国家だけれども沖縄はその外側だということです。片山さんは琉球政府の立法府の話をしていたが、当時の沖縄には日本国憲法が適用されていなかったんですよ。そのような情況を抜きにしたところで技術的な立法論を学んだとしてもクソ喰らえといった話です。
普天間・辺野古の問題はシンボルをめぐる問題です。それは非法理な問題です。非法理な問題に対して金や法律で説得しようとしても「あんたが説得したいことはわかった。でもわれわれはそれに従わない」ということです。
今、琉球新報・沖縄タイムスは異常なほど英語のホームページが充実しています。東京に訴えても意味が無いということを潜在的且つ集合的無意識のうちに行っているのでしょう。東京の連中はそれをみるとワシントンに訴えていると思っているがそれだけではない。ニューヨークとジュネーブの国連人権機関に訴えているのです。国際的にどう訴えると効果があるかをあまり意識しないうちにやっているのではないか。
沖縄対本土という対立構造は事実と違うと同時に負けるのでやらないほうがいいと思います。資本家対労働者というマルクス主義は、沖縄差別について理論的にうまく扱えないところがあります。抑圧されているプロレタリアートは本土であっても沖縄であっても抑圧されている。そのなかで差別の問題を扱うということは闘いの本質を見失わせるのです。
伊波陣営が勝てなかった一つの理由は、差別という切り口をうまく使うことができたのが保守陣営だったからだと私はみています。
それでは本土の沖縄差別はないのかといえばあります。沖縄総体対東京の政治エリート(政治家と官僚)という構造です。日本の圧倒的多数は善でも悪でもない。情報は東京の政治エリートに流れていきます。この情況をまず壊さなければならない。沖縄人はどんな情況でもあきらめないのです。
最後に話者の政治性。同じことをいう場合でも、その人が本当に沖縄のことを思っていっているのか口先だけなのかを捉える力が沖縄人にはある。それは今まで騙されてきた歴史が長いからです。
(文責:西脇尚人)